
小さなころから料理は身近なものでした。両親が離婚したあと父方の祖父母と一緒に暮らしていたので、おばあちゃんと家の畑で採れた野菜で調理したり、むかしながらの古い道具を使ってハブ草茶をつくったり。
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もともとは、漢代の災異思想*を専門にしていました。『論語』はあまりにもポピュラーすぎて、研究する人も少なく、わたしもずっと見向きもしませんでした。でもあるとき、『論語』におもしろい解説書が存在することを知りました。
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父は日本画、母は染織を専門にしていたので、わたしも小さいころから絵を描く環境にありました。でも、絵を描くことが苦しくて、悔しい時期が長かったです。幼稚園に通いはじめて、それまでは好きなように、いつまでも描いていられたのに、急に「時間制限」ができた。
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うちは代々の農家で、わたしは6代目です。農業高校を卒業してすぐに家の仕事を始めました。子どものときに両親といっしょに馬車に乗って畑まで行ったという、かすかな記憶があります。あのころはまだ馬がいないと農作業できない時代でした。そのうち機械化が進んで、
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福島県白河市の生まれです。子どものころからずっと宝塚を目指していました。2度受験したところで、「誰かが、右向け、右、と言ったら、それに従う世界」は自分には合わないと気づきました(笑)。もっと広い世界にでて、
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生まれは山梨の甲府ですが、空襲から逃れるため家族で北海道の旭川へ疎開しました。終戦後は高校まで旭川で過ごし、映画を学ぶために日本大学芸術学部に入学しました。兄と弟がいましてね、兄は演出家として、弟はグラフィックデザイナー・版画家として、わたしは映画の道へ、それぞれ進んでいきました。
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家族仲のいい家庭でのびのび育ちました。父方の家が敬虔なキリスト教徒だったこともあり、我が家はわたしが生まれたときからキリスト教の家庭でした。毎年の誕生日にメッセージカードをもらうのですが、必ず聖書の言葉が書かれていました。
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英語教員を志したのは、これまでに出会った先生たちの影響です。中学校の増子平八郎先生もそのひとりでした。社会科の筆記試験で、教科のテストに加えて口頭試験を行うような先生でした。「好きな政治家の名前を言ってみろ、その理由は?」とか、授業内容に関したいろいろな質問をするのです。昼休みになると新聞からおもしろそうな記事を選んでは、
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興味がわくと深掘りしたくなる性格です。自分が知らないこと、よくわからないと思うものほど学びたくなる。哲学の本が好きなのは、一見何が書いてあるかわからないから。大学生のときに初めてハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んだのですが、さっぱりわからなくて10ページで
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敗者の深みと墓碑 ちょうどバブル経済のころに経済部に配属されました。兜町で取材をはじめたのが1987年ですから、NTT株の上場などがあって、株価がどんどんどんどん上がっていく、「大活況相場」と呼ばれていた時代です。そこから後は陰りが見え始め、
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誰でもいいわけじゃない ここから見える景色、めちゃくちゃいいでしょう? いい景色には、悲しみや苦しみを癒す、すばらしい力がある。その自然の力を、ワインに込めたいのです。 ワイナリーをはじめたのは、
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対象と空間、その先を想う 力のない言葉は消費されると考えています。たとえば、流行語は翌年には使えない言葉になっていることが多いですね。これは言葉に力がないからです。ところが、「おもう」は商業的に消費されたとしても古びません。
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植物に合わせて生きる 「人の都合で働くな、植物の都合で働け」。花の師匠だった父から最初に言われたことです。植物に合わせるということは、人間らしい生活ではなくなります。子どもの運動会の準備をしなくちゃいけなくても、植物のことをやってからやれ、と。
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はじめての舞台とアドリブ 子どものころは祖父母と両親と弟妹の7人暮らし。父は公務員で母は大学の事務職員という、いわゆる、ふつうの家庭で育ちました。演劇の道に進むきっかけは、中学生のときです。学校の行事で『夢屋』という演劇をやることになって、ぼくはジャンケンに負けた。
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いつもだれかが 祖父は京都、祖母は横浜の生まれでね。結婚を認めてもらえず、駆け落ち同然に東京へ行って、それから関東大震災のあとに滋賀の大津に来ました。当時はまだ読み書きができない人も多かったそうで、祖父は家業であった刺繍と読み書き、祖母はお花を教えながら暮らしていました。そうして私の母が刺繍を受け継ぎました。
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優等生と退学届(吉岡と小林) 小学生のころは、何も考えずに先生の言うことを聞く、いわゆる優等生でした。社会に対する疑問を持ちはじめたのは高校の同級生の吉岡宏晃と出会ってから。彼の影響で政治とか社会思想の本もいくらか読むようになった。
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9月3日 9月3日は、わたしが大村はまの授業をはじめて受けた日です。人生のなかでエポックがあるとしたら、それは53年前のあの日だろうと思います。大村はまに出会うまでは、教科のなかで国語がいちばん嫌いだった。ここの行間にこんな感情が滲み出ているので……、とか言われると、そんなのどこに書いてあるのだろう?
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ひとりで決断した特別な日 父はわたしが大学4年生のときに亡くなりました。クリケットやフットボールが大好きで、高校の体育の教師をしていました。体が大きくて、髭を伸ばして、赤い服が好きだったから、クリスマスになると子どもからサンタだ!
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憧れと想像と撮影 福島県福島市で生まれました。子どもの頃から映画が好きで、映画の世界に憧れていました。小学生の頃は面白いことが大事だったので、なんでも試してみたくて、廃墟の団地の窓に石をぶつけて一枚ずつ割ってみたり、悪さばかりしていました。
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