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想雲夜話

空に浮かぶ雲のかたちが、ふと大切な人の顔に見えたり、だまって雲の流れを見つめながら、こころの整理をしたり。 ゆっくりした時間の中でふと考える。 祈るってなんだろう、供養ってなんだろう。 いまを生きていることの不思議をしみじみ想う夜のおはなし。

ただ、照らす。

ただ、照らす。

ただ、照らす。
第20夜

ただ、照らす。

そのときに頭をよぎったのは、なぜ美しいのかを月に問うたとして、月は答えてくれるだろうか。そもそも、そこに「なぜ」は存在するのだろうか。月はただ美しい。それだけのことではないか、と。

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だれといっしょに
第19夜

だれといっしょに

長生きしたくない、でも、長生きしてほしい。なんて、そういう自分勝手な思いが、一年をまたぐ時期になると、とくべつに大きく膨らんで、かといって、やっぱりしかたなしに歳をひとつ受け取って、ぢっと手を見る。

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どうどうと超えてゆけ
第18夜

どうどうと超えてゆけ

史上最多とか、過去最高とか、たしかに数字をならべてみれば、選手たちは過去の記録を着実に更新してゆく。更新されない記録などなく、いつの時代も人類は進歩しているのだ、と。だが、こらえて立ち止まれ。昨日が明日に届かないからといって、明日が昨日よりも輝いているとは限らず、過去が未来を追い越せないからといって、未来が過去よりも温かいとは限らない。天を突く大木もいつか葉を落とし、やがて朽ち果てる。肉体は...

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黄昏(たそがれ)の街
第17夜

黄昏(たそがれ)の街

夏の夕暮れが好きだった。日が傾いて、風が出てきたころ、読みかけの本を手に六畳間に寝転ぶと、開け放った窓の網戸の向こうから近所のひとの声や車の音や犬の鳴き声が聞くともなしに聞こえてくる。しだいにわたしの心は浮き上がって、ただひとり、この世から離れて、静かに漂いはじめる――。昼と夜の境目、現実と幽玄の狭間、どちらともつかないクロスオーバー、そのわずかな時間がわたしの居場所だった。

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駑馬(どば)の兄弟
第16夜

駑馬(どば)の兄弟

このごろ、できていないことがあまりにも多くてどうにも情けない。これはスランプだとか、生みの苦しみなのだとか、クリエイティブってそういうものだとか、カンヅメになったらいいのかなとか、そんな言い訳はすらすらと出てくるのに、肝心の筆はいっこう進まない。 そうしたら、そうだ、これを見てください、と言って、彼がA5サイズの、28ページほどの冊子をわたしにむかって差し出した。

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夢と現のグラデーション
第15夜

夢と現のグラデーション

どこかの公園の大きな池。わたしは池の真ん中で、ボートの底に寝そべり、空を見上げている。ボートの底に穴があいているのか、だんだんと水が入ってきて、そのうちに顔だけが水面に出ている状態になる。が、とくに困った様子もなく、助けを求めるわけでもなく、わたしは池に浮かんだまま、周りのボートに乗っている人たちの会話や、池のほとりに座っている人たちの会話を聞いている。のどかな春の午後。

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貝がらの手
第14夜

貝がらの手

昔、貝がらに耳をあてると、波の音が聞こえるという話があって、海にいくといつも浜辺で大きくてきれいな、渦巻きの貝がらを探してひろった。 耳をあててごらん。聞こえてくるから。 出口というのか入口というのか、貝がらのラッパところに耳を押しあてて、じっと集中していると、サァーとかザァーとか、波のうち寄せるリズムのような音が、ぐるぐるの奥のほうからやって来た。プールでもお風呂でも、耳をふさ...

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釘ひとつ
第13夜

釘ひとつ

劫初より作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘ひとつ打つ ―― 与謝野晶子 仏教で〈最も長い時間〉を表すことばを「劫(ごう・こう・くう)」という。どのくらいの時間かというと――ここに一辺が160キロメートルほどもある大きな四角い石がある。その石を100年に一度、ごく薄い羽根でさっと払う。何度も払っているうちにだんだんと大きな石がすり減って、すっかり地面とおなじになっても、まだ「一劫」は経...

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森と空のあいだ
第12夜

森と空のあいだ

わたしたちは受け取る情報の8割を視覚に頼っているというから、朝起きて夜寝るまでのあいだに、どこを見るか、なにを見るか。ちょっとした目のやりどころが、知らず知らず、自分の生き方をかたちづくっているのかもしれない。

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わが手の甲に
第11夜

わが手の甲に

夏はもはや遠く去りゆき、しかし、その旺盛な精神はいまだここに漂っている。その風情を三島由紀夫は、「夏が老いてゆく」と言った。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、また夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て。人もおなじく、若者はやがて歳を重ね老人になり、世を去り、そしてまたつぎの若者が歩き出す。老人が若者になることはなく、まぶしいほどの若さが失われて、なお残るものはなんだろう。

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ワンセット
第10夜

ワンセット

夏の雲はどこまでも白く、どこまでも高く。風が吹いて、草をなびかせる音も、蝉が鳴いて、飛び立ったあとの余韻も、世界の音はみんなみんな青い空に上ってゆく。ひとり大地に残されたわたしも目をつぶって舞い上がる。それにしても、夏の盛りはどうしてこんなに静かなのだろう。

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希望の声
第9夜

希望の声

分厚いカーテンも、障子も、ガラス戸も閉じたまま、夜明け前の光がぼんやりと染み込んでくる部屋で、わたしは畳の上に寝ころんだまま、昨晩君が口にした言葉を頭の中で繰り返している。いまのぼくには、生きる希望がないんですよ――。

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高いところから
第8夜

高いところから

振り返っても戻れないならば、呼びかけても帰れないならば、振り返らず、呼びかけず、すべて忘れてしまえばいい。けれど、それもまた、許されず。高くかざした手の先にわたしは何を求めているのだろう。 この世は舞台、人はみな役者。 ――『お気に召すまま』シェイクスピア

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腹をくくった諦念
第7夜

腹をくくった諦念

鴨長明は、ぢっと河を見つめているうちに、気がついた。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、と。永遠とも思える河の流れと、その上に浮かんでは消えてゆく泡沫(うたかた)と。大いなる時の流れを思えば思うほどに、人のいのちのはかなさを知る。この世の無常を悟ったと同時にまた、悩みもいっそう深まったにちがいない。一瞬のいのちを、それでも生きていくというのは、いったい何だろうか。

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遠いということ
第6夜

遠いということ

「目から遠いと、心から遠い(Loin des yeux, loin du coeur.)」というフランスの格言があって、そうだよなあ、そうだよなあ、と、その言葉の力強さに気圧(お)されて過ごしてきた。でもいずれ、そう、いずれ、どちらが先かはわからないけれど、でもいずれ、愛する人は遠くへ去ってしまう。いのちというのはそういうもので、しかたがないことだ。が、せめて心の中には、いつも近くにいてほし...

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繰り返して、繰り返して、続いていく。
第5夜

繰り返して、繰り返して、続いていく。

冬と春のちょうどの境目がどこにあるのか、目を凝らして探してみたら、冬至に行き当たった。ここまでが冬ですよ、ここからが春ですよ、と。生きることも、死ぬことも、出会いも別れも、そんなふうにわかりやすく示されていたら、

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人はどこから来て、どこへ去るのか。
第4夜

人はどこから来て、どこへ去るのか。

不知、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。 ――『方丈記』 わたしがちょうど三十歳になる年の冬に父が亡くなった。すでに母とは離婚していたことや、わたしが父の最期を看取ったことや、長男だったことや、いつでも連絡を取りやすい親族だったことや、そういうさまざまな都合が重なって、父が暮らしていた公営住宅の後始末をすることになった。ひとり住まいには不釣り合いなほど広びろとした...

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目に見えないもの
第3夜

目に見えないもの

「おまえ、虚無を見たことがあるかい、ぼうず?」 ミヒャエル・エンデが、『はてしない物語』の中でファンタジー〈物語〉と「虚無」の戦いを描いたのは、目に見えないものへの畏敬の念を取り戻すためだったと思う。それはつまり、目に見えるものだけを信用し、目に見えるものだけに囲まれて生きていると思っているわたしたちが、しだいに目に見えないものを恐れるようになり、その恐れはいつしかありもしない敵を生み出し...

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同じ空の下
第2夜

同じ空の下

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 啄木が見上げた空と、いまわたしが見上げている空はおなじ空だろうか。それともちがう空だろうか。はじめてこの歌と出会ったのは中学2年生の国語の教科書だったとおもう。ああ、世の中には自分と同じことをしている人がいるものだと、この歌が映し出す大きな空の景色に、妙に納得したことをおぼえている。

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忘れられてのち、生きている。
第1夜

忘れられてのち、生きている。

「人は二度死ぬ」、と永六輔が言ったのは、永さんがお寺の子だったからということもあるだろうけれど、やはり一抹のさみしさからのことだったろう。一度目は肉体的な死、二度目は人々の記憶から消えたとき。...

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