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記事: 駑馬(どば)の兄弟

駑馬(どば)の兄弟
第16夜

駑馬(どば)の兄弟

第16夜

このごろ、できていないことがあまりにも多くてどうにも情けない。これはスランプだとか、生みの苦しみだとか、クリエイティブってそういうものだとか、カンヅメになったらいいのかなとか、そんな言い訳はすらすらと出てくるのに、肝心の筆はいっこう進まない。

そうしたら、そうだ、これを見てください、と言って彼がA5サイズの、28ページほどの冊子をわたしにむかって差し出した。自分で文章を書いて、写真を撮って、レイアウトして、紙を選んで、印刷も製本も自分で依頼してつくりました。ずっとやってみたかったのです。さっそく間違いを見つけてしまいました、ほかにもあるとおもいます。文章も写真もまだまだです。レイアウトは見様見真似です。と、電車に揺られながら受け取った冊子のページをめくるか、めくらないかのうちに、こちらの顔をのぞきこむようにして、彼はまくし立てた。

いいんだよ、そんなことは。そんなことはどうでもいい。間違いがあるとか、クオリティが甘いとか、そんなのはたいしたことじゃない。自分の力で、実際に、かたちあるものをつくったことが何よりすばらしい。やりたい、やってみたいと言いながら、なにやら細かいことを気にして、いつまでたっても動かない人ではなく、拙くてもいいから、不十分でもいいから、自分の力でつくりあげる人、かたちにする人になってくれたことが、心からうれしくて、誇らしい。

夫驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣。

それ驥は一日にして千里なれども、駑馬十駕すれば、則ちまた之に及ぶ。

――『荀子』脩身篇

※驥(き)=優れた馬、駑馬(どば)=のろまな馬、十駕(じゅうが)=十回走る

そうだった。なんでもいいから、うまくやろうとせずに、できることを、できる限りのことをていねいに積み重ねてゆく。それだけのことだった。できる、の反対は、できない、ではなく、やらない、だ。できるかできないか、ではなく、やるかやらないか。シンプルなことさ、ねえ、兄弟。

🖊 平野有希



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夢と現のグラデーション
第15夜

夢と現のグラデーション

どこかの公園の大きな池。わたしは池の真ん中で、ボートの底に寝そべり、空を見上げている。ボートの底に穴があいているのか、だんだんと水が入ってきて、そのうちに顔だけが水面に出ている状態になる。が、とくに困った様子もなく、助けを求めるわけでもなく、わたしは池に浮かんだまま、周りのボートに乗っている人たちの会話や、池のほとりに座っている人たちの会話を聞いている。のどかな春の午後。

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黄昏(たそがれ)の街
第17夜

黄昏(たそがれ)の街

夏の夕暮れが好きだった。日が傾いて、風が出てきたころ、読みかけの本を手に六畳間に寝転ぶと、開け放った窓の網戸の向こうから近所のひとの声や車の音や犬の鳴き声が聞くともなしに聞こえてくる。しだいにわたしの心は浮き上がって、ただひとり、この世から離れて、静かに漂いはじめる――。昼と夜の境目、現実と幽玄の狭間、どちらともつかないクロスオーバー、そのわずかな時間がわたしの居場所だった。

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