Sotto

Vol.75

供花デザイナー

岩田弘美さん

偲ぶ想いを花に託して

「フランスの花ですか?」

いま、ご縁があって仏花のお仕事をしていますが、はじまりは自宅の庭のガーデニングでした。庭で育てたお花をドライフラワーにして、それをリースにしたのを偶然、百貨店のバイヤーの方が見て、うちで販売してみませんかって。百貨店の催事に出店したらあっという間に完売でした。もう20年以上前のことです。それからしばらく出店を続けていたら、こんどはわたしの出店しているブースの飾りつけを見た方が、そっくりそのままでいいから、見本市に出てみませんかと声をかけてくださった。それが、2004年に開催された「第1回東京国際フラワーEXPO」でした。

せっかく出展するなら、だれもやっていないことをやりたい。そこで、お供え用の花をメインにすることにしたんです。ブライダルやテーブルコーディネートのブースがずらっと並ぶなか、仏花はわたしひとりだけ(笑)。当時、花き業界は母の日とブライダルですべてが動いていて、〈仏花〉という文字をみて、「フランスの花ですか?」。同業者からはさんざんバカにされましたが、お供え用の花を求めている人がたくさんいることもわかりました。

 

プリザーブドフラワーの供養花展示会にて(2012年、日本橋)

 

花人生の集大成

東京2020オリンピックの際、晴海の選手村に設けられた〈多宗教センター〉の空間フラワー装飾を担当しました。Pray for (ONE)理事だった新倉典生先生がお声がけくださって、宗教に関わらず、すべての選手へのおもてなしや応援、祈りの場として、心のよりどころとなる空間を花で飾ってほしい、と。前回の東京オリンピックの年の、ちょうどオリンピックが開催されている10月に生まれたわたしは、このお話しをいただいたときに〈使命〉を感じたんです。これまでの花人生の集大成のつもりで入念に準備して制作に臨み、納得いくものが完成しました。ただひとつ、オリンピック開幕直前の5月に新倉先生が逝去されて、直接見ていただけなかったことだけが残念でした。

 

東京オリンピックの選手村に設けられた〈多宗教センター〉を飾った花たち(2021年)

 

自分の目と耳と足で

いまこうして仕事ができているのは、義父が見守ってくれているおかげだと思っています。なんとかお礼がしたいと思うのですが、生きていたら、美味しいものを食べたり、旅行したりできるけれど、仏さまになったらそうはいきません。そこでいまの自分にできることは何かと考えていたとき、お寺で1週間修行すると、「血脈(けちみゃく)」というお守りを授与され、特別法要をしていただけると知りました。

仏さまにお供えするお花をつくるからには、きちんと自分がそうしたことを理解し、自分で経験する必要があると思っていました。ネットで調べたことをしゃべって、知ったようなことを言うのが嫌いなんです(笑)。だって、それじゃウソだから。実際に自分の目と耳と足で経験したものを、みなさんに伝えたい。それで、数年前に菩提寺である總持寺の御受戒に参加して戒弟となり、「善月慈弘(ぜんげつじこう)」の安名もいただきました。

 

曹洞宗大本山總持寺にて1週間の修行に臨む(2017年)

 

想いを託す、橋渡し

小さいころから祖父母と同居していて、お仏壇があるのが当たり前の生活でした。出かける前には必ずお線香をあげ、おりんを鳴らす。「今日も一日、よろしくおねがいします」と、手を合わせる。それが日常のひとつのシーンで、習慣でしたね。高校生のとき、はじめてのアルバイト代でお仏壇に供える最中(もなか)を買ったくらいです。お墓参りや法事にもよく連れて行ってもらっていました。お坊さんの説法は、子どもながらに耳に残っていて、いまだにそのとき聞いた説法を守っています。自分が育ってきた環境の中で、仏さまやご縁を大事にすることを教えてもらいました。

いまの仕事をはじめてからずっと、「偲ぶ想いを花に託して」を自分自身のテーマにしてきました。亡き方への想いを花に託す、その橋渡しが、わたしの役目だと思っています。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

 

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