Sotto

Vol.105

デザインディレクター

丸山のぞみさん

人を嫌いにならなかった。

お祈りとお祝い

家族仲のいい家庭でのびのび育ちました。父方の家が敬虔なキリスト教徒だったこともあり、我が家はわたしが生まれたときからキリスト教の家庭でした。毎年の誕生日にメッセージカードをもらうのですが、必ず聖書の言葉が書かれていました。子どものころは、毎晩お祈りをしてから眠るのはあたりまえ。いまでも食事のときはお祈りを欠かしません。偶然にも、夫がプロテスタントだったこともあって、ずっと変わらない生活を送ることができています。だから、というほどでもないとは思いますが、旅行したときに有名な神社仏閣に寄ることはあっても、お正月の初詣はいまだに行ったことがないんですよ。

あと、これはかなり珍しいケースかもしれませんが、実家の敷地内に、自分たちの家と祖父母の家をつなぐホールがありました。外から見ると八角形になっていて、オルガンやピアノがあって。教会みたいなものかもしれませんが、主に家族でパーティをする場所になっていました(笑)。クリスマスはいつも親族が集まって、食事をして、聖書を読んで、讃美歌を歌って、盛大にお祝いしています。

 

元日に家族そろっての一枚(2017年、東京)

 

知らないままでいいのかな

学生のころはデザインの高専に通っていました。卒業制作で「きもの着付ガイドブック」をつくることにしたのですが、そのときに父が着付けの先生を紹介してくれたんです。わたしがいまの会社に就職するかどうかを悩んでいたときも、先生は「本は人の想いを伝えるものだし、それを何人もの手で作っていて、それに関われるのはすごく幸せなことだと思うよ」と言って、背中を押してくれました。いまのデザインの仕事では、仏教の儀式や習わしに触れる機会が多く、日本人の8割が仏教徒だということに驚きました。恥ずかしいけれど、知らないことばかりです……。お盆のナスとキュウリも、20歳過ぎてからその存在と意味を知りました。でも、日本は仏教の国でありながら、自分の宗教について知らない人が多すぎると思います。わたしがキリスト教の家庭で育ったということもあって、そこのところにとても違和感をおぼえます。宗教と聞くと怖いとか怪しいとか、そんなふうに思われがちですが、狂信的なものでない限り、もっともっときちんと勉強したほうがいいのになって。

 

キリスト教の教えに包まれた家庭で育つ(1992年ころ、東京)

 

隣人を愛しなさい

キリスト教徒の祈りの対象は主に神様。お祈りは「主よ~」からはじまります。日本では神様仏様に祈願をする文化がありますが、キリスト教には「○○が上手くいきますように!」というような願掛けをすることはなく、感謝を伝えたり、見守ってくださいというお祈りが多いです。でも、わたし自身は日本で育っていることもあって、亡くなった人を想う感覚は多くの人とあまり変わらないと思います。

 

父方の祖母、桜のころ(2000年ころ、東京)

 

祖母の遺品の中に、聖句が書かれたノートを見つけました。祖母は若いころは聖句をすべて暗記していたそうです。聖書のことも祖母からたくさん教わりました。「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」「隣人を愛しなさい」など、有名な。誰に対しても愛をもつことを教わってきたので、子どもの頃から自分のことを博愛主義者だなって思うくらい(笑)、人のことを嫌いにならなかったです。両親からも人に対するマイナスなことは聞かなかったように思います。つねに、すべての人をリスペクトしたいと思って過ごしています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=岡部悟志)

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