Sotto

Vol.106

usubane

薄羽皓一朗さん

この街が好きだから

街っておもしろい

子どものころのぼくにとって、自由が丘といえば、両親の買いものに連れていかれて、さいごにおもちゃ屋さんや本屋さんに寄るのが唯一の楽しみ、というくらいの街でした。でも、成長して大学時代にカフェでアルバイトしたいと思ったときに、池上線沿線の自宅から近くてイケてる場所を探したら、やっぱり自由が丘を選びました(笑)。

働き始めたカフェは「茶乃子」という地元のひとたちが集まるお店で、そのうちにぼくもみなさんから声をかけてもらうようになりました。自由が丘は〈おしゃれな街〉って言われるけど、このあたりがまだ畑ばかりだったころから住んでいるひとたちは、みんな気取らなくて、温かい。お店に集まってくる、さまざまな職業のひとたちと触れあうなかで、「街っておもしろい」と感じるようになったんです。

それからもう20年。いまは自由が丘にある12の商店会をまとめる振興組合の青年部で副部長をしています。自由が丘のいいところは、みんなが一丸となったらめちゃくちゃ強いところ。街づくりには多くのひとのパワーが必要だから、みんなでおなじベクトルを向いてやれたらいいなって思います。

 

カフェ「茶乃子」の前で。自由が丘の街にどんどん引き込まれていった(2007年、自由が丘)

 

つなげて、残す

自分のお店「usubane」をオープンしたのは7年前。もともとこの場所は、〈焼きカレー〉が人気の「ジジ・セラーノ」というお店で、藤原さんが経営していました。藤原さんとは「茶乃子」で働いているときに知りあって、ぼくも妻もかわいがってもらっていたのですが、藤原さんが70代になって引退を考えたタイミングと、ぼくが独立を考えたタイミングがちょうど重なって。お店もレシピもそのまま引き継いでいいよって。〈焼きカレー〉もメニューとして出せるように教えてもらいました。いまだに、お店に来てくれたお客さんが「焼きカレー、まだあるんだ!」と、よろこんでくれます。この場所も、このメニューも、変わらず残っている。それは、この街にとって、すごくいいことだなと思います。

いま自由が丘は大規模再開発の途中です。この7年のあいだにも街の風景はずいぶん変わりました。これからさらに工事が進むと、駅周辺にある80年間続いてきたようなお店も無くなってしまうでしょう。いまのこのお店がある区域もいずれは……。「そうなったらどうしたらいい?」って藤原さんに聞いたら、「そのころ、おれはもう死んでっから、知らねえ」って(笑)。ぼくらの世代が考えなくちゃいけないことだけど、現実を見るとむずかしいことも多い。でも、いろいろなものをつなげて、残していかないといけない、そう思います。

 

カレーショップ「ジジ・セラーノ」の藤原さん(右)からお店も味も受け継ぐ(2016年、自由が丘)

 

ぼくたちが本気を出す番

藤原さんのお父さんは有名な写真家で、自由が丘の駅前に「藤原写真場」という写真館を構えていました。当時活躍していたアーティストたちが写真館に集まっては、いろんなことを語りあっていたそうです。そんな街の歴史もつなげたいと思って、いまぼくたちは、自由が丘をアートの街にしようと活動しています。これまでも、「女神まつり」を始めてみよう、スイーツの街にしてみよう、と先輩たちがいろいろなことをやってきました。新しいことをはじめるのは簡単ではないけれど、そういう繰り返しの歴史があって、この街はできてきた。だから、“ぼくたちにできること”をやるときも、先輩たちにもよろこんでもらえるようなやり方がいい。藤原さんや、お世話になっている街のひとたちを悲しませないように、これまでの系譜をつなぎながら、街づくり。そのためには、いろんな人の想いや考えに気づくこと、気づけることが大事だと思います。

 

場所、ひと、味。街の記憶をこれからも

 

先輩たちは話し合いの場で、よくケンカするんです。お互いに仲が悪いのかなと思うと、飲み屋でいっしょに呑んでいたりする。この街が好きだから、ケンカするんですよね。今度は、ぼくたち世代が本気を出して考えていく番です。どんなにボロクソに言われても、ね(笑)。

 

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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