Sotto

Vol.104

出る杭

武田 徹さん

考えろ、やってみろ。

教壇に立つからには

英語教員を志したのは、これまでに出会った先生たちの影響です。中学校の増子平八郎先生もそのひとりでした。社会科の筆記試験で、教科のテストに加えて口頭試験を行うような先生でした。「好きな政治家の名前を言ってみろ、その理由は?」とか、授業内容に関したいろいろな質問をするのです。昼休みになると新聞からおもしろそうな記事を選んでは、それを生徒に読ませて、あとから解説を加える。そんな教育を受けました。

高校のときは、金子順一先生から英語の歴史や英文化の背景を学びました。英語の香りを東京から持ち込んでくれたのです。東京教育大学を卒業して、郡山に赴任してきたばかりで、私たちと10歳も離れていなかったかな。60年以上前の郡山市なんて小さな田舎町ですから、そこへ、先生が東京で流行っている映画や本など、さまざまな文化を紹介してくれました。まさに文化の配達人でした。

そんな先生たちとの出会いがあって、わたしも自然と教員になりました。教員になりたてのころは生意気で、教育委員会から目を付けられていましてね。あまりにも自己主張をするから「頭を冷やしてこい」と、山奥の学校に異動させられたほどです(笑)。出る杭が打たれるのは当然です。しかし出る杭にならなければ、そういう教育をしなければ、この国は変わらない、生徒は変わらない、そういう思いで最後まで教壇に立ち続けました。

 

ルワンダから福島へ

英語教員として働くかたわら、1987年に「福島国際交流の会」を結成しました。それから20年以上にわたって、日本人に英語を教えて、英国との相互訪問事業をしたり、福島に住んでいる外国人に日本語を教えたりしてきました。ルワンダ人のマリー・ルイーズに出会ったのもその縁です。彼女は洋裁を学びに交換留学生として福島へ来ていて、滞在期間中は「福島国際交流の会」の活動に参加して、日本語を学んでいました。1年後、彼女はルワンダへ帰国したのですが、直後にルワンダの虐殺*が起こったのです。

マリー・ルイーズは家族を連れてルワンダを離れ、ゴザにある難民キャンプに逃れました。逃れた先に日本の医療機関のアムダ(AMDA)の難民キャンプがあって、彼女は日本語がわかったので、アムダに採用され、そして彼女から「助けてほしい」とFAXが送られてきたのです。わたしは「なんとかする」と伝えましたが、当時の日本は難民を受け入れた前例がなく、一個人の力だけではどうにもできません。そこで知り合いだった参議院議員の会田長栄さんに相談したのです。議員は外務省や法務省にかけあってくれて、その結果、「彼女を受け入れる方法が一つだけある。それは、難民としてではなく、留学生として受け入れるということだ」と。

わたしはすぐに受け入れ先の学校を探しました。快諾してくれたのが桜の聖母短期大学でした。必要書類が揃ったところで、マリ―・ルイーズ一家を日本へ迎え入れるために、わたし自身がケニアの首都ナイロビへ出かけて行きました。現地の日本大使館職員の助けもあり、無事日本に入国できました。日本で最初の難民救出でした。

 

ルワンダのカガメ大統領夫妻を福島に迎えて(2006年、福島)

 

※ルワンダ虐殺……1994年に発生した、フツ系とツチ系の民族間争いによる大量虐殺。50万人から100万人が犠牲になったと言われている。

 

自分が動けば、必ずつながる

わたしは昭和16年の生まれで、戦争を体験しています。郡山市が爆撃されたときの、あの、ズズーン、という爆弾の音は忘れられません。怖さ知らずで、防空壕の入口から眺めたB-29も鮮明に覚えています。黄色や緑色が上空高く点滅し、とてもきれいでした。食べ物がないから、野草や魚を取って食べました。いま思えば、いろいろ悪いこともしましたが、すべて生きるための戦いでした。

 

幼いころの戦争体験が原点であり原動力(1943年、郡山)

 

昨年、「ウクライナに『使い捨てカイロ』を送る会」を設立し、活動を始めました。ロシアによる軍事侵攻を受けているウクライナに、ぬくもりを届けたいという想いからでした。日本中から寄せられたカイロは総計約40万個。全部を送り終えました。高齢者からお子さんまで、多くの人の優しさ、善意をひしひしと感じ、日本人もすてたものでないと強く感じました。

人生に悔いはありません。でも、まだまだやることはあります。今後は塾に行けない子どもたちを集めて、無料で授業をしようと考えています。そしてわたしの授業では、子どもたちに、答えではなく、考え方を学んでほしい。まずは考えろ、そしてやってみろ。失敗するかもしれないし、うまくいくかもしれない。失敗したら、そこでまた考えればいい。自分が動けば、必ずつながる。そう信じています。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

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