Vol.74

未来を育てる人

松本弘子さん

未来を育てるはたらき方

ベースにあるもの

15年前に父が亡くなりました。64歳。持病もなく、あまりに突然のことで、本人が一番びっくりしているかもしれません。当時、家族の中で仕事のことがわかっていたのがわたしだけだったということもあって、会社を継ぐことにしたんです。それからは、父がどういう想いで不動産業をはじめたのか、深く考えるようになりました。いま目の前で起こっている現象とか、これから何かをしようとしているとき、ベースになっているのは、やっぱりその人の〈想い〉なんです。

いまの世の中って、自分がひとりで生きているように感じてしまうことが多い。でも、誰にでも親がいて、その先に親の親がいます。そうやって自分が生かされてきたことを忘れてはいけないし、未来につなぐのも同じように大事だと思っています。

父は早くに亡くなってしまったから、もう父の想いの本質を直接聞くことはできないけれど、わたしなりに会社を継いで、自分なりの働き方を見つけることができた。次は、わたし自身がなにを残したいのかを考える番です。お金を残したいのか、会社を残したいのか。わたしの答えは、世の中に〈未来を育てる働き方〉を残すことでした。未来はやってくるものでもなく、誰かがつくるものでもない。未来は育てるものです。それがわたしの中で、父の想いをつないでいけた、という感覚かな。

 

両親の理解があったからこそ今がある(自身の結婚式にて)

がんばる理由

小さいころから何事にも理由がほしい性格なんです。理由がないとイヤ(笑)。中学生のときに、どうして受験勉強をしなければいけないのかがわからなくて、だれもその話をしないし、それで高校に進学しなかったんです。でも、ご縁があって、17歳のときにアメリカのカリフォルニアに滞在する機会があって、そのまま現地の公立学校に通うことにしました。当時まったく英語はできませんでしたが、何か形にするまでは帰国できないなと、必死で勉強しました。理由があれば、ちゃんとやるんです(笑)。向こうの学校を21歳で卒業して、ジュニアカレッジも出て、それから帰国しました。

父が亡くなって、会社を継いでからは、とにかく「大変」でした。子どもも手がかかる時期だったし、家のこともしなくちゃいけないし、どうしてわたしばっかり! それで、あるとき、もう辞めようと決めた。ちょうど夏休みで、この旅行から帰ったら、自分にできる範囲で、できることだけやる。それで十分でしょ、それ以外はぜんぶおしまい、って。

旅行先の佐渡島で民宿に泊まったのですが、そこは夏は人が来るけれど、冬はほとんど営業していなくて、建物は古いし、お金を入れてエアコンを起動させるような、昔のままの造り。でも、目の前がプライベートビーチで、日本海が一望できるすばらしいロケーションでした。この景色を見たときに、「できることだけ、できる範囲でがんばればいい」と考えることは、「与えられた環境の可能性を活かして、精一杯がんばる」こととは、まったく意味が違うんだと気がついた。ああ、こんな働き方もあるんだなあ。一度しかない人生、なんのために働くのか。もう一度考えてみて、わたしにももっとできることがあるんじゃないか――。そう思えたんです。

まあ、帰ってきてからも大変なのは変わりませんが(笑)。それでも、仕事を辞めるということは考えなくなりました。自分の中で、がんばる理由がはっきりしたんでしょうね。

 

辞めると決めた旅行で、がんばる理由を見つけた(2013年、佐渡島)

 

考え方の姿勢

ものごとって、自分では伝わっていると思っていても、実際は相手にきちんと伝わっていないことって多いですよね。伝えている自分自身の感情も日々変わります。だからこそ、つねに〈想い〉を伝えていく必要がある。それと同じように、相手の気持ちに寄り添って、咀嚼して、相手がなにを考えて、なにを想っているのか、それを想像することも大事だなって。

父は努力と信念でなんでもできると考える人でした。「できない」という言葉は聞いたことがない。とにかくできる方法を探すという姿勢は、きっと、わたしの中でも、その精神は引き継がれていると思います。もっともっとたくさん教えてほしいこともありましたが、いまは父の言葉を思い出しながら、その教えを次につないでいきたいと思っています。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

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