Sotto

Vol.72

タカマツ製作室

高松周史さん

偶然とつながりと、長く大切につかってもらえるもの

断れずに、そして偶然に

静岡の伊東の生まれで、実家は魚屋をしています。おじいちゃんが開業して、当時は保養所がたくさんあったから、納め先も多くて繁盛していたみたいです。いまは父と母とふたりの従業員で小さく営んでいます。高校時代は野球部で体育会系の仲間に囲まれて育ちました。僕自身は野球がすごく得意なわけではなかったけれど、中学の先輩に誘われて、そのまま断れずに入部(笑)。それでも3年間ちゃんと続いたのは自分でも不思議です。

学校の美術の授業で、プロダクトデザインを考えてコンペに出してみよう、という課題がありました。たまたま僕のデザインが受賞して、実際にデザインから製品にしてもらうことができた。それがとっても嬉しくて。こんな世界があるんだって、興味が沸きました。これがプロダクトデザインとの出会いです。高校3年の夏に部活を引退して、大学にいくなら美術の道に進みたいと思って、そこから勉強して間に合うところを探して、うまく滑り込むことができました。

 

卒業制作展に向けて成型合板のイスをつくる(2011年)

 

つながりと、ほんの一部分

大学卒業後は地元に戻って、木工房兼ショップに就職してさまざまな仕事をしていましたが、やっぱりプロダクトデザインの仕事がしたかった。とにかく刺激というか、とっかかりがほしくて、東京の展示会には欠かさず足を運んでいました。でも、なかなかつながらなくて悩んでいたときに、地元で陶芸をしている斎藤十郎さんと出会いました。なにか手がかりを教えてもらえないかと思って相談したところ、東京のヨシタ手工業デザイン室の吉田守孝さんを紹介していただけることになったのです。吉田さんに連絡を取って、いざ東京の事務所へ会いに行くことを伝えると、斎藤さんが自分の作品と、吉田さん宛に直筆の手紙を書いて持たせてくれました。

でも、実際に吉田さんに会ったときには、ここで働かせてほしいと言い出す勇気が出なくって……。それでもあきらめきれずに1年間、東京で働きながらチャンスを待って、次の年から働かせてもらえることになりました。手で模型をつくって、製造現場にいったり、デザインを担当したり。在籍した4年間、ほんとうによく叱られました(笑)。自分のデザインしたものが世に出ることに対する責任を痛感したのと、スタイリングにこだわって時間がかかっていると、吉田さんから「形はたいしたことではない」と言われて、衝撃を受けました。もちろん形は大事ですが、模型づくりが楽しいからといって、自分の手元だけで考えていたら、多くの人が関わるデザインの仕事は前に進まない。当時の僕がやっていたのは、企画から製造、流通販売という、ものづくりの流れの全体から見たらほんの一部分だということを思い知りました。でも、20代のうちにデザインと製造のどちらも経験できたことは、独立したいまになって活きているなあと思っています。

 

ロゴ入り前掛けは吉田守孝さんからの独立開業祝い(2021年)

 

原点と、普遍的なもの

小学5年生くらいのときだったか、夏休みの自由研究でイスをつくったことがありました。家が魚屋だったから、空いた木箱がたくさんあったんです。木箱をバラして板を組み立てて、釘を打って、家の前の畳屋さんからもらってきたイグサで座面をつくって。すごく楽しくて、のめり込んだのを覚えています。早朝6時からトンカン釘を打っていたら母に怒られた(笑)。夏休み明けに学校に持っていったとは思いますが、そのままどこかへいっちゃったなあ。いま思うと、これが僕のイスづくりの原点だったのかも。

原点を忘れずに、人のための道具をつくる(タカマツ制作室、2022年)

昨年独立してからは、量産型の家具だけでなく、オーダー家具もつくるようになりました。対象は違うけれど、人のための道具をつくる、という想いは同じです。僕のデザインはシンプルなものが多い。時代に左右されない普遍的なもの、親から子に受け継がれるような、長く大切にしてもらえるものをつくっていきたいです。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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