Sotto

Vol.69

うのすまいワインプロジェクト

廣田一樹さん

想いは届く

どうしてもやりたい

生まれも育ちも千葉県です。小学生のときにテレビでラグビーの試合を観て、「こういうスポーツがしたい!」と思って。それまではサッカーをやっていて、ラグビーというスポーツ自体、知りませんでした。ラグビーをやるために身長を伸ばそうと、中学ではバスケ部に。そして、強豪と言われていた高校を受験したのですが、入ってみたら、当時のラグビー部員はゼロ(笑)。でも、どうしてもやりたかったから、同級生に声をかけて15人集めました。

大学を出て仕事をしていましたが、2011年11月に、母方の祖父母の家があった釜石に移り住みました。父も転職し、6人家族のうちで家庭を持つ妹以外の5人が、こちらに移住しました。それぞれに「何かしなくては」と思っていたんじゃないかな。

わたしにとってそれからの数年は、この地域に足りないところは何か、自分がやれるポジションはどこかを探す日々でした。市の臨時職員として仮設住宅をまわったり、2019年のラグビーワールドカップに向けて開催誘致の活動をしたり、地元の旅館スタッフとして働いたり。人とのつながりで、なんとかここまでやってこられています。

 

じいちゃん、ばあちゃんと孫たち。廣田さんは真ん中の長男(1996年元日、山田町)

 

じいちゃんの願い

小さいころ、兄弟4人で毎年、夏休みの1か月間を祖父母の家で過ごしました。毎日のように海で泳いでいました。いま、そのときの海の目の前にある旅館で働いているのは、不思議な感じがします。

じいちゃんからはよく、「医者になれ」と言われました。医者になればいろんな人を救える。ずっと言われ続けたけど、長男のわたしも、次男も医者にはならなくて(笑)。あとがなくなったところでようやく三男の番がきた。

末の弟は、高校卒業と医者を目指すことを祖父母に報告するため、2011年の震災の3日前に釜石をたずねていました。弟もラグビーをやっていて体格がいいから、自分があと3日こっちに滞在していたらじいちゃんを担いで逃げられたのに――、ばあちゃんも、みんなも津波に呑まれずに済んだかも――、と。その思いがなければ、弟は医者になる勉強の途中で心がくじけていたかもしれませんね。本当によくがんばった。大学を卒業して、いまは盛岡のほうで研修医として働いています。

じいちゃんは、孫のわたしたちに甘くて。朝5時に起きて車で魚市場へ行くと、わたしの大好きなイカをバケツいっぱい買ってくれました。じいちゃんはお酒をよく飲んでいたから、自分は順当にその血を引いているなと思うし、鏡で自分の顔を見るだけでも、じいちゃんを思い出します。

 

鵜住居のワインプロジェクト。この土地のテロワールをゆっくり育てる(2019年)

 

花火とワインと鵜住居

根浜海岸では、毎年3月11日の夜に花火を打ち上げています。有名な新潟県長岡の花火大会では、「祈るための花火」が打ち上げられると聞いて、釜石でも上げてもらえないかとお願いしたのです。毎年、花火師さんが長岡から来てくれます。

最初の年は日中に強い風が吹いていた。それで、午後2時46分に、「風を止めてくれ」と、じいちゃんに祈ったんです。そのあともずっと吹いていたのですが、夜7時を過ぎて打ち上げ予定の時間になると、ピタッと風が止んだ。その、ほんの数分間で、花火を上げることができた。想いが通じることって、あるんだなと。一方的に想っているだけのはずなのに、じいちゃんとつながった瞬間でした。

もうひとつ。2013 年からワインをつくるプロジェクトに関わっています。畑仕事なんていっさいやったことがないのに、農家さんに教えてもらいながら始めて。葡萄は、50センチくらいの木を植えると、5、6年で実がなります。ワインがつくれるようになって4年。若い葡萄だから、味はまだまだ(笑)。でも、この鵜住居(うのすまい)でつくられたワイン、その時間を感じてほしいという思いでやっています。自信をもってお客さんにお出しできるくらいの味になるまで、何年かかるかわからないけれど、やり続けようと思っています。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

 

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