Sotto

Vol.65

神戸珠数店

神戸伸彰さん

和顔愛語

いつも側にいてくれる

父は仕事ばかりでいつも忙しくしていましたが、休みが取れるとよく家族旅行に連れて行ってくれました。食べることが好きで、ふたりでお寿司屋さんにも行きました。お互い音楽が好きだったから、音楽の話をすることが多かったかな。ぼくのバンド活動も応援してくれていましたし、父がお酒を飲んで気が大きくなったときを見計らって、「新しいギターが欲しい」って言うと、買ってもらえるから(笑)。ぼくが車の免許を取ったときには、父を隣に載せて滋賀の職人さんのところへ行ったりしました。

父は、ぼくが18歳のときに、家族旅行で行ったスキー場のホテルで亡くなりました。朝、母親が起こしにきたら、もう冷たくなっていました。脳出血だったようです。実は、父が亡くなる前日の夜に、なぜかふと、父にもしものことがあったらどうしようって思って、眠れなくなっていた。あれは虫の知らせだったのかな……。父には持病があるわけでもなく、健康そうだったし、夜寝る前に少し頭が痛いって言ってたくらいのことで、朝になったら亡くなっていた。ほんとうに突然のことで、変な言い方ですが、ほんまに死んだんかなって。会えないけれど、いつも側にいてくれている。そんな感覚です。

 

父・伸彦が亡くなる前日の朝に撮った一枚(1998年、越後湯沢)

 

お父さんに似てきたね

もしも父が生きていたら、ぼくはいまの仕事をしていたかどうかわかりません。少なくとも、神戸珠数店を継ぐことはなかったはずです。父が突然亡くなったことが、めぐりめぐって、神戸数珠店の継承につながっているとしたら、なにか必然的なものだったのかなと、いまはそう思います。

仕事をしていて、父だったらどう考えるだろうか、どう判断するだろうか。そんなことを考えることがあります。でも、父とは仕事の話を一度もしたことがないから、想像するだけですが。父といっしょに働いていた職人さんや仕入れ先の方から、当時の話を聞いて参考にしています。そういえば、「アメジストは晴れの日に見なあかん」って、よく言っていました。曇りの日は光の入り加減が違うとかで、細かいところまでよく見ていたようです。とにかくいいものをつくることにこだわって、特に仕入れに関しては厳しかったと。でも、神戸さんのところに頼めばいいものが届くと、いまでもみなさんに言っていただけているのは父のおかげです。

わたしは毎朝出勤すると、お仏壇の前に座って、お線香をあげて手を合わせています。これから始まる今日一日のことを思いながら過ごすこの時間がとても好きで、心が整う瞬間です。毎月お墓参りもして、仕事や家族の報告をしています。最近は、父に似てきたって言われるようになりました。体型だけは似ないようにしないと(笑)。

 

これからは毎年、従業員がいっしょに写真を撮る。ピース(2022年、社屋前)

 

幸せになってほしい

2年前に友人が亡くなりました。もともとはお取引先のお客さんで、単身赴任で京都に来ていました。5つ歳上で、とにかくコミュニケーション能力が高い。ぼくの知り合いのお店に連れて行くと、すぐに仲良くなって、常連みたいな雰囲気になる(笑)。毎晩のようにいっしょにごはん食べて、飲んで、仕事の話をして。そのときのアイデアから新しいことを試したりしていました。仕事仲間であり、友人でもあり、彼も実家の事業を継ぐことになっていたので、ぼくと境遇が似ていたから、なんでも相談できる相手だった。

その彼が、ある日、仕事を終えて車で事務所に戻ってきたときに、ちょっとしんどいから、水を持ってきてくれと。事務員さんが飲みものを持っていったら、車のシートを倒したまま意識がなくなっていた。それから2週間後に、彼は亡くなりました。ぼくの人生で、あんなに泣いたことはなかった。自然と手を合わせて、ありがとうありがとうと伝えていました。いまでも飲みにいくと、ときどき彼も来ているのかなって思うときはあります。

 

ある日突然、家族や友人を亡くした経験をしてきて、みんなに幸せになってほしいと思う気持ちが大きくなりました。今年から従業員みんなで毎年集合写真を撮るようになりました。人生はいつなにがあるかわからないから。いつも笑顔でいたいですね。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

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