Sotto

Vol.64

建築家

佐藤浩平さん

祈りの対象を想って、自分を律する

真実のひと言

わたしの師匠は白鳥健二といって、フランク・ロイド・ライトの孫弟子にあたります。わたしは建築家の中でフランク・ロイド・ライトがいちばん好きでしたので、白鳥さんのところに弟子入りしたんです。弟子入りしてすぐに白鳥さんに、「独立するきっかけは何だったのですか?」と聞きました。やっぱり不安じゃないですか。白鳥さんのもとで毎日図面を引いたり、模型をつくっていても、それは自分の作品ではないし、自分の作品がなければ、独立しても仕事が来ないんじゃないか……。だから、いちばん初めに聞きました。

そうしたら「佐藤君、いまなら独立しても平気だと思うときが来るんだよ」って。うまくごまかされたなって思いましたよ(笑)。でも、そのとおりでした。ほんとうにそう思ったんです、あ、独立できるなと。そうした時期がくるんですね。あのとき、ごまかされたと思った言葉が真実のひと言だった。いまでは学生にも同じ言葉を伝えています。「いつかそうなるから、努力を続けなさい」と。

 

師匠である白鳥健二のアトリエ「COSMOS」で模型製作に明け暮れていたころ(1991年)

 

新しいということ

わたしの家にあるものはもともとゴミだったものばっかり。壁に使っている足場板は、もともとある家のデッキに使われていました。お客さんが、もうボロボロになったから新しくする、と言うので、もらってきました(笑)。こういう十何年も使われてきて、経年変化した木材はいまからつくろうとしてもつくれない。かえって貴重な素材ですよ。視点をちょっと変えるだけで価値がずいぶん変わってくる。わたしたちがまだ気づいてない豊かさは、いろんなところにあると思います。

建築家にとって唯一大事なのは「新しい」ということです。これまでにない価値観を盛り込んで設計する。それが「建物」ではなく「建築」と呼ばれるのです。じゃあ、新しい価値観とは何か。ひとつは材料の新しい使い方です。この材料がこんなふうに使えるんだ! というのはひとつの発見だと思います。わたし自身はいつもそのことを考えてきました。

 

海で子どもたちといっしょに泳ぐ活動もライフワークのひとつ(逗子海岸)

 

祈りのための空間よりも

ひとは空間があるから祈るのではありません。わたしたちはもともと自分の中に祈る対象を持っています。まず空間があって、そこへ行けば、なにか自然と祈りたくなる、というのは違う。たとえば、キリスト教の大聖堂には、建物の前にはひとが集まれるような広い空間があって、少し進むと入り口があり、その扉を開けると急に真っ暗闇な空間がある。そこは外の喧騒を一切受け付けず、シーンとしていて、光が上のほうからステンドグラスを通して降りてくる。人間の視点を上に向けさせることを誘発する仕掛けです。おのずと天に導かれるような、神様を感じるような設えで構成されている。祈りの空間というのは、すべてを切り捨てたあとに出来上がるものではなく、すべて計算されて、操作された空間です。

先月、母が亡くなりました。四十九日までは位牌と遺骨が家にあって、それとは別に遺影もあります。写真の母はニコニコしていて、今日も一日ちゃんとしなきゃいけないなって思うんですよ。写真一枚あれば、母との記憶が掘り起こされて、自分を振り返ることができるんだ、と実感しました。あえて空間をつくらなくても、祈りの対象を想って、自分を律する精神を日本人はもともと持っているのです。

 

 

(聞き手・撮影=平野有希)

 

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