Sotto

Vol.66

日本人ムスリム

小野愛美さん

自分の内面を見つめ直す時間

ダンス教室からムスリムに

子どものころからずっとバレエをやっていたこともあって、シンガポールに来てから、友人の勧めでサルサを習い始めました。そのサルサの教室を通じて出会ったのが、いまの夫です。実はわたしの父と母の出会いも、きっかけはダンス教室なんです。父は新潟で働いていたのですが、会社の研修で東京に来たときに、当時流行していた社交ダンスの教室に通うことに。そこでインストラクターをしていた母と出会ったそうです。ふたりの出会いに憧れていたわたしが、まさか似たような出会いをするなんて、ですね。

夫はムスリムです。ムスリムと結婚する女性はイスラム教徒にならないと法律的には夫婦として認められません。それでムスリムの学校に通ってイスラムの教えを学びました。もしかして、人前で踊ることもダメなの? と、夫に聞くと、辞めなくていいよって。ムスリムになる前は不安がたくさんでしたが、好きなことを続けながらムスリムの生活をしています。

 

学校の課程を終えて、信仰告白。ムスリムになった(2019年)

 

愛美は、愛美

結婚式のときにわたしの家族がシンガポールまで来てくれました。でも、父がその直後からとても具合が悪くなってしまって。帰国してからあらためて検査したら、すい臓がんでした。父は2020年に亡くなりました。コロナが大騒ぎになる直前で、なんとか日本に帰省できて、父の葬儀に間に合いました。でも、葬儀が済んだとたんにコロナの規制が厳しくなって、こんどはわたしがシンガポールに帰れなくなってしまいました。でも、おかげで母と3か月間、ゆっくり過ごすことができました。

シンガポールに帰って、その翌年に子どもを授かりました。父とおなじ誕生日に生まれたんですよ。こんな偶然があるんだなあ……。まるで父がわたしを日本に戻してくれて、子どもができるように少し休ませてくれたみたい。

父は寡黙なタイプだったから、特別なにかを相談したり、たくさん話をしたりすることはなかったけれど、シンガポールに移住するときも、結婚してムスリムになるときも、反対はしませんでした。「どこに行っても、どんな宗教になっても、愛美は、愛美だよ」って。すごくうれしかった。

 

シンガポールに住み始めて2年目、父と(2015年、シンガポール)

 

サルマと祈ること

ムスリムは死んだら土葬にします。神さまにいただいた肉体は、そのまま神さまにお返しするという考え方です。わたしのムスリム名は、夫の祖母の名前からいただいた「サルマ」。アラビア語で「平和」を意味します。

父の病気が発覚したとき、わたしは熱心にお祈りをしていました。もともと信心深いタイプではないのですが、そういうときだけ(笑)。幼いころから人間を超越した存在とか、神さまはどこかにいるんだろうなと感じていました。だから、どうしようもなく困ったときに神頼みをしたり、お祈りをしたりすることは、ごく自然に受け入れることができました。いまでも父を想って祈ったり、話かけたりするときは、自分の内面を見つめ直す時間になっています。

 

(聞き手=加納沙樹)

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