Sotto

Vol.56

漆工芸家

林曉さん

ものごとが見える人になれ。

それでいいのか

子どものころからものづくりが好きで、絵画や彫刻よりも工芸の道を選びました。工芸には金工、染色、陶器、ガラスなどがあるけれど、どれも素材が決まっています。でも、漆の場合は、素材自体は木でもプラスチックでも石でもいい。最後に漆をひと塗りすれば、それが漆作品になるという、途中のプロセスが多岐にわたるところがおもしろかったのです。ところがいざ漆を学んでみると、昔ながらのやり方をしっかり学ぶことが多くて、自分の本来やりたかったこととのバランスが取れないことに気がついた。それで手仕事の真逆の最新のものづくりの世界に興味が向いて、以来、ずっと並行して続けています。

若いときから3人の先生にとてもお世話になりました。わたしが子どものころ近所にお住まいで、のちに多摩美術大学の教授になられた、洋画家の松本英一郎先生。藝大の恩師だった蒔絵の田口善国先生。わたしの作品づくりの方向性を定めてくださった髹漆(きゅうしつ)の増村益城先生。いずれの先生たちもすでに亡くなっていますが、仕事をしているときに先生たちの存在を感じることがあります。うしろからのぞき込んで、「おまえ、それでいいのか」って。先生たちが私を愛してくれたように、わたしも学生たちに愛情を注いでいきたいし、先生たちの想いを受け継いでいきたい。

 

第20回岡田茂吉賞 大賞「乾漆蓮花食籠(かんしつれんかじきろう)」

 

貸してみなさい

教える側と教わる側が共鳴するのは、同じものを求めているときです。学生の夢とわたしの夢が合わさることによって、学生だけでは小さな夢だったものが、何倍にも大きく広がる。そのときに学生は信じられないくらいの力を発揮してくれます。わたしの夢がのせられないうちは、ほめたりしません。でも、直接的にだめだ、とは言わないかな。「ちょっと貸してみなさい」って(笑)。手仕事は人を介して伝わっていくものですから。

人は生まれてきたらみんな、なにかしらの能力があると思っています。でも、たいていの場合、自分の能力に気づかないうちに人生が過ぎてしまう。自分の能力の種に気づいて、水をやって、育てるための時間はとても短いのです。そして、自分がやりたいようにやっているだけでは伸びません。いまの日本では独自性や個性が注目されていますが、それは基本的なことをやり切ったあとに出てくるものであって、基礎を学ぶ前に出てくる独自性や個性はかえって伸びない。それに気づかせてあげることも、わたしの仕事だと思っています。

 

第57回日本伝統工芸展「朱塗稜花盤(しゅぬりりょうかばん)」

 

わたしたちはどうか

人はみんな、喜びやら悲哀やらを抱えながら生きています。そのなかで最終的には、自分はどう振る舞うかということに還ってくる。「人としての矜持を持つ」、なんて、いまの時代は教えられることもないかもしれませんが、ちゃんとものごとが見えているかどうか。これはすごく大事なことなんです。

いまだに世界中で争いや悲惨な出来事が絶えないのはなぜか。想像してみるに、日本では考えられないような状況をつくっている人たちも、個人的にはきっとみんないい人たちなんです。みんないい人だから、みんな自分が正しいと思っていて、まず間違ってないだろうと思っている。そこに正義の対立が生じて、争いが起こる。じゃあ、ひるがえって、わたしたちはどうか。たぶんみんないい人で、自分たちはまず間違っていないだろうと思っている。ほんとうか? たぶん間違っていても、そのことに気がついてないだけでしょう。どこも同じで、だからいろんな争いごとが起きる。そういうことを、みんながちゃんと意識できるようになるといい。人を想うって、そういうことでしょうね。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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