Sotto

Vol.55

トライアスロンコーチ

藤田智弥さん

挑戦する姿に心を動かされて

楽しいから、トライアスロン

水泳をはじめたのは3歳のころかな。週3、4日はプールに通っていました。小学4年生のときには全国大会に出場するくらいに泳げるようになりました。親にはオリンピックを目指してがんばれ、と。でも、中学生になってからはだんだんと泳ぐことが嫌になってしまってね。高校では泳ぐことすらやめてしまいました。大学は富山へ。大学でひさしぶりに泳いでみたら、ああ、やっぱり水泳は楽しいなって。大学卒業後は薬剤師として大学病院に勤務しながら、水泳を続けてきました。

トライアスロンに挑戦するようになったのは社会人になってからです。ちょうどそのころ、実家の父(当時55歳)がトライアスロンをやりたいって、真っ赤なロードバイクを注文してね。いざ乗ってみると、自分には派手すぎたようで、そのままわたしにくれました(笑)。それがきっかけでわたしもトライアスロンをはじめました。

そのころはまだ競技人口も少なくて、仲間といっしょに練習をするなんてまず考えられませんでした。それでも楽しかったから、ひとりで走ることからはじめて、職場の仲間に背中を押してもらって、大会にも出るようになりました。結婚して子どもを産んでからもトライアスロンを続けました。4人の子どもを育てながらの練習だったから、子どもが寝ている早朝に走ったりしてね。

 

第35回長良川国際トライアスロン大会。8年振りのレース再挑戦で女子総合8位(2020年)

 

本気のマリちゃん

2009年の新潟国体からトライアスロンが公開競技となりました(2016年の岩手国体から正式競技)。私も国体に出たいと思って、育児の合間を縫って練習を重ね、富山県代表として3度出場しました。3度目の国体のあと、自分の中でなにかが燃え尽きて、2012年にトライアスロンを離れることに。それからは水泳のコーチをしながら、好きな運動を続けていました。

そうして日々を過ごしていた3年くらい前のこと。100kmマラソンの富山県記録を持っている、マリちゃんという女性に出会いました。わたしよりも少し年上のマリちゃんが、トライアスロンをやってみたいと言うので、いっしょに泳いでみると25メートルも泳げない。マリちゃんは泳ぎが苦手だったんです。大人になってから泳ぎを習得するのは簡単なことではありません。でも、マリちゃんは真剣にプールに通って、一生懸命練習に取り組む。そのうち仲間が増えてきて、いまではトライアスロンを目指す人たちが集まって、海で泳いだりもします。ぜんぜん泳げなくても、本気でトライアスロンに挑戦するマリちゃんの姿を見ているうちに、心が動かされていました。自分はまだ泳げるのになにも挑戦していないじゃないか、もう一度挑戦しようって。

 

できるか、じゃない。やりたいか、だ。(夏の富山湾にて)

 

自分で考えるから、楽しい

オリンピックを目指していたころは、ひたすらたくさん泳いで、少しでもタイムをあげていくことがすべてでした。自分自身が楽しいと思えないことは、続かないのです。いま水泳のコーチとして大切にしているのは、自分で考えて、楽しく練習するということ。だからわたしはみんなの良いところをちゃんと褒めるようにしています。

泳いで、自転車を漕いで、走って。トライアスロンはぜんぶ自分の力でやらなければいけません。途中で自転車が故障したら、自分で修理する。そういう競技だからこそ、ふだんはお互いが助け合うんですね。自転車修理の道具の使い方に詳しい人が講習会を開いてくれたり、泳ぎが得意な人や走るのが好きな人が練習会を開いてくれたり。だれかのために、と自分から動く仲間がいる。昔はひとりでがんばってきたけれど、いまはみんなで同じ目標を持ってがんばるのがほんとうに楽しい。

今後の目標は2026年に関西で行われる予定の「ワールドマスターズゲーム」。同世代の日本一を目指してわたしもがんばります。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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