Sotto

Vol.43

フォトグラファー

塩澤秀樹さん

写真から蘇る記憶~いまを生きる力に~

想いひとつでヒマラヤへ行く

大学4年の卒業試験直前のタイミングで、どうしてもヒマラヤに行きたくなったんです。ざんざん考えた挙句に教授に相談したら、「あなたがいまやっていることは、あとで2倍にも3倍にもなって返ってくる」って。背中を押してもらった。卒業論文の製本は後輩に押しつけて、単位取得の結果確認は友人に頼んだっけ(笑)。

当時はとにかくヒマラヤに行きたくて行きたくて、息が詰まりそうでした。このまま日本にいたら自分が小さくなってしまう、という危機感みたいなものがあったんでしょう。4か月間、ネパールで過ごしました。標高2000mから4000mの山岳地帯で暮らすシェルパ族と生活しながら写真を撮りました。はなたれ小僧の顔や、おばさんの顔、深いシワのあるおじさんの顔。夜には薪の火で照らされる彼らの姿を目にして、人を撮りたいと思うようになりました。

自分の知らない世界を見に行きたい。写真を撮りたい。見切り発車な行動でしたが、想いひとつでなんでもできた。人っておもしろいものです。

 

「歯抜けのおじさんが、ぼくを覚えていてくれて嬉しかった」(1985年、ネパール・ヒマラヤ)

 

自分のエゴに気づく

建築カメラマン助手、スタジオマンを経て、26歳から今度は1年半の旅に出ました。ネパール・インド・パキスタン・イラン・旧ユーゴスラビア・ハンガリーなど、いろんな国へ行きました。旅の途中で、学生時代に撮影した写真を本人に届けようと思ってシェルパ族のところへ行くと、笑顔が素敵だった女の子はすでに亡くなっていた。ほかにも、うら若き人たちが何人も亡くなっていて……。命の長さは国によって違うんだと実感しました。

生きていたころの姿は写真に残っている。亡くなった女の子の両親はきっと喜んでくれるに違いない。そう思って写真を届けたら、喜んではもらえなかった。シェルパ族の文化では亡くなった人の写真やモノを残すことはしない。写真を届けたら喜んでもらえると思っていたのは、自分のエゴだったんですね。

写真というのは不思議な紙です。楽しかった思い出だけでなく、過去の傷や辛い経験も含まれている。それをどうやったらいまを生きる力に変換していけるか。そこが人間の知恵だと思っています。

 

エベレストの残照、いつまでも赤々と燃えていた(1985年、ゴーキョ・ピーク)

 

インド・ラダック地方にて、チベット仏教徒と撮った一枚(1990年、28歳のころ)

 

写真が生きる糧になる

小学生のころは鉄道が大好きな「鉄ちゃん」でした。家の近くの陸橋から寝台列車や特急列車を眺めていました。「ひばり」「はつかり」「はくつる」。東北ってどんなところだろうって想いを馳せながら。あるとき、近所のお兄さんに「カメラ持ってないの?」って言われたことをきっかけに、父のカメラを借りて列車を撮影するようになりました。大好きなモノを写真に収めることができる! そのままカメラに魅了されてしまいました。

写真には目に見えない何かが込められています。たった一枚の写真を見るだけで、記憶が蘇るんですよね。写真をきっかけに不鮮明だった記憶が鮮明になっていく。こんな経験したな、この人からはこんな言葉をもらったな、って。

人はみな、これまでに経験したことのすべてを活かせているわけではありません。そのことに気がついて、また努力して、成長の糧にする。まだまだ自分にできることはある、と。目に見えない心を宿した、そんな一枚を撮影したい。ぼくは写真の力を信じています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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