Sotto

Vol.39

プロ冒険家

阿部雅龍さん

自分の人生のハンドルを離してはいけない。

自分の小ささを知った~初めての冒険~

21歳のときに大学を休学してお金を貯めて、22歳で南米大陸を自転車で縦断しました。これが僕の中では初めての海外旅行であり、初めての冒険でした。エクアドルの赤道記念碑からスタートして、パタゴニアの国道3号線の終わりにあたるフィン・デル・ムンドが終着地点。290日、1万1,000kmの旅でした。

一番の思い出はやはり現地での出会いです。ペルーの海沿いを走っていたときのこと。道沿いの屋台でランチを食べたときに、隣に座った長距離トラックの運転手とあれこれと話をしました。彼は食事を済ませると先に席を立って店を出ていって、しばらくして僕も店を出ようと会計に行くと、彼が僕の支払いまで済ませてくれていた。チリで出会ったカップルは、僕が学生で自由に旅ができることを羨ましいと言って、でもその後に一緒に飲もうとビールを買ってきてくれた。

彼らはお金も時間もけっして余裕があるわけではないし、南米と日本の物価の違いだってもちろん知っている。それでも旅をしている若者に親切にしてくれる。人の心の大きさを感じたと同時に、自分の小ささを痛感しました。

 

はじめての冒険は南米大陸縦断、ボリビア・ウユニ塩湖にて(2005年)

 

Single Mindedness~一意専心~

冒険の実力をつけるために5、6年前から北極圏に通うようになりました。カナダのヌナブト準州イカルイットの空港に到着したときのこと。昔の『Lonely Planet』を持って行ったので、そこに載っている民宿に電話をしたところ、イギリス英語を話すおじいちゃんが出た。今のガイドブックにうちの番号は載っていないのに、と驚いていました。僕はソリと大荷物を抱えて宿へ向かいました。

おじいちゃんの名前はブライアン。イギリスのリバプール出身の元海軍兵でした。カナダに移住後、実業家として成功。後にイヌイットの女性と結婚してこの町に定住し、8年間市長を務めたという人でした。ブライアンは僕に、「君ぐらい美しい目をした男性には会ったことがない」と言ってくれた。地元では毒舌なことで有名な人でしたが、僕にはいつも優しくしてくれて、ほかの人にも僕のことを悪く言わなかった。夜になると、いつも彼の好きなアートの話や世界中の旅の話をして語らい合った。「Single Mindedness(一意専心)」という言葉を教えてくれたものブライアンでした。亡くなる最後の最後まで、僕の南極踏破の夢を応援してくれた。愛すべき友人です。

 

プロ冒険家としての自信をつけた南極点単独徒歩到達(2019年)

 

人の想いが力になる~人生のハンドル~

アマゾン川を筏で下っているときにマラリアに刺されました。幻覚と幻聴、体が熱くなったり寒くなったりの連続。生きるか死ぬかのさなかで、幼稚園の子どもたちからもらった寄せ書きが目に入った。帰ったら子どもたちに講演をする約束がある。がんばらないと。そう思って乗り越えました。冒険をしていると死にかけることは何度もあります。辛いときほど、周りの人の想いに助けられています。

プロの冒険家を名乗るようになったのは南極点到達を果たしてから。自力でスポンサーを集めることができるようになって、プロ冒険家としての活動が形になってきました。それと同時に、夢を応援してくれる人がいることで責任感を強く感じるようになりました。

自分のためだけでなく、応援してくれる人のためにもがんばりたい。でも冒険の規模が大きくなるにつれて、冒険家自身がハンドルを握れなくなってしまうことがある。冒険の世界の先人たちを見てきたからこそ感じることです。自分の人生のハンドルは、決して離してはいけない。社会に合わせるのではなく、自分のやりたいことができているかどうか。それが僕のプロの冒険家としてのあり方です。

今年の年末にもう一度南極へいって、世界初のルートで南極点へ到達したいと思っています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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