Sotto

Vol.38

まなか

玉越健一さん

誠実であること。笑顔でいること。

試行錯誤の中から自分らしい生き方を探して

浅草に生まれ育って、高校時代はサッカー部に所属。とにかく毎日が楽しかった。でも、学校の勉強は苦手で。プロカメラマンに憧れていたこともあって、絵が苦手なくせに芸大を受験しました。案の定、受かるはずもなく(笑)。仕方なくふつうの大学へ進学しました。

大学時代は好きなソウルミュージックのバーで朝まで働く日々。就職活動は大学卒業後に『タウンページ』に載っている都内のスタジオへ片っ端から電話しました。運よく採用してもらったスタジオで3年間働きました。そのままプロカメラマンを目指す道もありましたが、ちょうどフィルムからデジタルに変わる流れがあって。写真の世界で廃業する人たちを横目に、このまま続けるかどうかを悩んだ結果、新しい道を選びました。その後はビジネスマンとしてセールスやマーケティングの会社を経験。何かを売るために試行錯誤することに、自分なりの楽しさを見つけられるようになって、いまの仕事に出会いました。

 

サッカーに明け暮れた高校時代

 

かっこいい、かっこ悪いの基準をもつこと

27歳のときにゴルフをはじめました。最初に教えてくれたのは父でした。そして、はじめてコースにでるという日に、父の友人の田中さんと出会いました。田中さんはゴルフがとても上手というわけではないけれど、ルールとマナーをとても大切にする人でした。絶対にボールを動かしたり、スコアを誤魔化すようなことはしない。もちろん当たり前なことなんですけれど、それができない人もいる中で、だれと周っていても、うまくいかなくても、ゴルフに対して誠実に臨む姿は、どんなに上手な人よりもかっこよく見えました。

田中さんとはそれから10年間くらいは毎月一緒にゴルフをするようになりました。スコアが良くなくても、どんなに負けていても、楽しくなさそうな表情をしている田中さんを、ぼくは一度も見たことがない。ゴルフだけでなく、生きるうえで、なにがかっこよくて、なにがかっこ悪いか。その基準を持つことの大切さを教わりました。ゴルフの技術はぼくのほうがすぐに上回ってしまいましたが(笑)、ぼくにとっては人生の師匠です。

 

田中さんのゴルフバッグとともに

 

「また一緒にゴルフがしたい」と、言ってもらえるように

仕事が忙しくなってしばらくゴルフを離れていた間に、田中さんが亡くなったと人づてに知らされました。火事で亡くなったそうです。あまりに突然のことで信じられなかった……。田中さんと最後に会ったのは都内の居酒屋。仕事の悩みを聞いてもらいたくてぼくのほうから誘いました。ふたりだけでお酒を飲んだのははじめてでした。また一緒にゴルフがしたい、と伝えると、「そう言ってもらえるのが一番うれしい」と、笑っていたのをよく覚えています。それっきりいっしょにゴルフに行くことが叶わないなんて思ってもいませんでした。

いまでもコースに出ると、田中さんだったらいまどんなアドバイスをくれるだろうって考えたり、心の中で話しかけたり、身近に感じる瞬間がたくさんあります。昔、田中さんから譲っていただいたキャリーバッグ。形見になってしまったけれど、いっしょにゴルフをしている感覚があって、嬉しくて、いまでも気合いを入れたいときは持っていきます。

ボールが林に入ってしまっても、人が見ていなくても、つねに誠実であること。そして、スコアが良くても悪くても、田中さんのようにいつも気持ちよく笑顔でいたい。それがぼくにできる恩返しであり、バトンの引き継ぎ方だと思っています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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