Sotto

Vol.30

タニタハウジングウエア

谷田泰さん

乾杯のあいさつは祖母に

祖母と妻とわたし

子どものころから母方の祖母と過ごす時間が多くて、一緒にキャッチボールもしました。大人になってからもたくさんお世話になっていました。とにかく元気なおばあちゃん。100歳まで生きて、最期は家族みんなで集まって、ピザを食べながら明るい雰囲気でお別れをしました。

祖母はわたしの友人たちとも仲良しでした。大学時代に知り合った彼女がわたしの妻なのですが、彼女と祖母のエピソードが色々ありまして(笑)。社会人になったころ、一時期だけお互いが別々の道を歩んでいた時のこと。祖母はこっそり彼女と連絡をとっていて、何度がランチに行っていたようです。

あるとき、祖母が彼女を自宅での夕食に誘ったら、「友人(男性)も同席していいですか?」と。ついに彼女が(泰とは別の)新しいパートナーを連れてくる! そういうことなら、さすがに家ではちょっと……、と思った祖母は、小洒落たお店を予約した。彼女は祖母にわたしが来ることを伏せていたんです。そこにわたしが現れたものだからびっくり! 「泰が来るなら、こんないい店を予約しなくてよかった」って(笑)。でも、祖母は私たちが復縁したことを知って喜んでくれました。そんなこともあって、わたしたちの結婚式の2次会の乾杯のあいさつは祖母にお願いしました。

 

祖母と妻(結婚前)と、1987年8月

 

自分なりの祈りの空間

わたし自身はキリスト教系の学校で学生時代を過ごしました。クリスチャンではありませんが、学校の中にあるチャペルや、聖書、西洋文化に触れる機会が多かった。それはそれで魅力を感じている一方で、山など自然の多い場所に行けばご神木に手を合わせたくなります。

祖母が亡くなって6年ほどになります。それまでは仏壇やご先祖さまに手を合わせることに縁がなかったかな。わたし自身も50代になって、少しずつ手を合わせることが自然と生活の中に馴染んできたように思います。家には仏壇はありませんが、大切な人の写真とおりんを置いて、自分なりの祈りの空間をつくっています。

 

祖母と妻(結婚後)と、1991年8月

 

想いひとつで前に進む

39歳のときに受けた人間ドックがきっかけで自転車に乗りはじめました。趣味や遊びというよりは、通勤や営業先に行く際の移動手段です。遠方出張のときには飛行機に自転車を積んで持っていくこともあります。年間走行距離は5000kmくらいかな。もう車は売ってしまいました。自転車で走っていると、自社製品の雨といを見つけることもあってね。嬉しくなって、その家のインターフォンを押して話を聞いてしまうこともあります。自転車だったからこそ出会える喜びです。自転車と仕事の相性もよく、おかげで健康状態も良好になりました。

いまこの状況になって、自分になにができるかを考える機会が増えました。若いころから人付き合いが好きで、同じ方向を向いてがんばるって楽しいなと。15年ほど前に友人と「緑のカーテン」というNPO法人を立ち上げました。企業経営とはまた違ったよさがあって、お金ではなくて、そこにあるのは「想い」だけ。想いが共有できればなんでもできるということを学びました。会社は継続するために力を注ぎますが、NPOの活動は、理念を実現すればなくなっていい。そのためにどちらもがんばる。これからの時代を生き抜くうえで大切なことです。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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