Sotto

Vol.17

ガラス作家

イイノナホさん

紙のかみさまに、約束。

おじいちゃんと作業場

祖父の家は東京・四谷の石材店でした。神社の石畳の階段をつくったり、墓石に名前を彫ったり。幼いころから祖父の働く姿を見て育ちました。家の裏にあるお寺はわたしたち子どもの遊び場でした。お墓掃除の手伝いをしていたので、怖いというイメージはまったくなかったです。従兄姉たちとよく走り回って、いつもお坊さんに怒られていました(笑)。冬に大雪が降ったことがあって、近所の子どもたちがみんなでリヤカーに雪をかき集めてきて、塩を混ぜて固めて坂をつくって、スキー場だ!って。わたしは一番小さかったから、お兄ちゃんたちにくっついて遊んでもらっていました。

祖父の感性には、幼いながらに惹かれるところがありました。祖父が年をとって引退し、石材店をたたむことになったのですが、当時、わたしが美術大学で彫刻の勉強をしていたこともあって、祖父の使っていた道具はわたしが引き取りました。いまでも大切に使っています。昔から作業場の音や家の空気が好き。いまのわたしの仕事場では音楽はあえて流しません。お茶室のように、風の音や雨の匂いを感じながら、自然の音を楽しみたい。

 

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お寺で従兄姉たちといっしょに(1973年ころ)

 

ひみつのかみさま

子どものころに、自分だけのひみつにしていた神さまがいました。「紙のかみさま」。なんでもないただの紙切れに描いた絵ですよ。それを机の引き出しに隠していました。遠足の前日に、「明日晴れますように」とか。そんなかわいらしいお願いごと。でも、見事にそういうお願いが叶ってしまうものだから、だんだんとこわくなってしまって。いつしか、ほかの人には言えないひみつのかみさまになりました。それから紙のかみさまは、ずっとしまい込んでいたこともあって、いつしかどこかへいってしまったのですが、大学に入る前にふと、紙のかみさまのことを思い出した。紙のかみさまを、いつか紙ではないものでつくろう。そう決めて、かみさまに約束をしました。

そして後になって、ガラスでかみさまをつくりました。わたしにとっては日々の感謝の気持ちを伝えて、心を整える対象です。どんな人でも祈りの対象みたいなものは必要なのかもしれない。お店に置いているガラスのかみさまを見て、気に入ってくださる方も多いです。

 

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ガラスのかみさま

 

ものづくりの世界

頭にどんなにいいアイデアが浮かんでも、それを形にする技術がないと作品はできません。大学を出て版画工房で働いたのち、ガラス制作の勉強をするためにアメリカに行きました。デール・チフーリとアン・グールド・ハウバーグが設立したピルチェック・ガラス・スクール(ワシントン州スタンウッド、1971年設立)に参加したくて。アーティストがガラス制作の技術を教えてくれる場所は当時はまだ少なかったのです。日本の学校でもヴェネチアングラスの巨匠リノ・タリアピエトラのデモンストレーションが何度かありました。リノとはその後も何度か会う機会があって、数年前に彼の工房があるイタリアのムラーノ島を訪ねたときには、わたしのことを覚えているよって言ってくれて、気さくに声をかけてくれました。

わたし自身がものづくりに興味を持つようになったのは、まちがいなく祖父の影響が大きい。子どものころから作業場の音や空気が好きでした。祖父の石を削る音や風景、そのひとつひとつが、いまのわたしの中に色鮮やかな景色をつくっている。でも、自分が育った環境をどのように受け止めるか。自分の素質をどうやって広げていくか。自分の感情は自分自身が決められることだといつも思っています。人を想う=わたしにとっては喜び、ですね。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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