Sotto

Vol.16

ペンネンノルデ/ひいらぎ

市原ゆきさん

今までの鬱屈が一気にすっとなくなった

何度思い返しても……

昨年の夏に家族で長野を訪れたときのこと。わたしが車を運転していました。とある道のトンネルを出たところで、目の前の赤信号を完全に見落としてしまった。自分はそのまま直進する。横から車がこちらに向かって突っ込んでくる。ブレーキもハンドルも間に合わない――。その瞬間、すべてがスローモーションに見えた。助手席には息子が座っていて、わたしの中では、完全に終わったな、と思いました。

ところが、ぶつからなかった。あれはどう考えても、間違いなくぶつかっていたのに、ぶつからずに済んだ。納得できない気持ちを抱えながらも、いっしょに乗っていた息子が無事だったことに心から安堵しました。ああ、救われた。息子の命を奪わずに済んだ、と。日ごろから信心深いとは言えないのですが、このときばかりはいろんなことを思いました。長野県には道祖神があちこちに立っているので、ちょっと止まって手を合わせたりして。なんと表現したらいいかわからないけれど、人生の負の蓄積が一気に昇華したような気がしました。

 

夏の不思議な出来事と長野県内の道祖神

 

いざという時に、自分以外の人を想えること

万が一のことは誰にでも起こり得る。あの夏の出来事をきっかけに、わたしは自分の家族に対して大切なことをちゃんと伝えられていたのかと、自問するようになりました。もしも、わたしが突然いなくなってしまったら……。家族はわたしのパソコンにログインすることすらできない。息子との思い出の写真も、家族みんなで共有しきれていないものがたくさんある。もしものときのために、わたしが残している「何か」を家族がちゃんと見つけられるようにしておきたい。そう思うようになりました。

残された人が何を見つけて、何を大切にするかは自由。ただ、残された人に選択肢を用意しておいてあげたい。事故を起こしそうになったとき、息子を守れなかったら生きている意味がないと思いました。大人になるって、いざというときに自分以外の人を想えることなのでしょうね。

 

 

恵まれた部分に目を向ける

人生には、子育てや介護などさまざまな想定外のことが起こります。これまでの日本のシステムだと、それに対応するのはほぼ女性です。わたしは想定外が起きたときにも、仕事を失いたくない。働き続けるにはどうしたらいいか考えて今の仕事をつくりました。夫は子ども好きで育児に積極的ではありますが、硬めの日本企業に勤めているのでどうしても平日はわたしのワンオペになりがちです。柔軟な働き方ができないのは会社のシステムの問題だとはわかりつつ、しかしそのシステムに苦しめられるのは夫ではなくわたしなんですよね。まだまだ達観するには程遠く、いまだにもがいているのですが、冷静になると、大きな問題ではないし、恵まれている部分が大きいなと思い直せるようになりました。

そんなときにもふと夏の事故未遂のことを思い出すんです。今も頭から離れなくて、何度思い出してもあれはぶつかっていたはず。ほんとに、無事でよかった。このおまもりブレスのおかげだったらいいんですけどね(笑)。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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