Sotto

Vol.15

デザイナー

清水慶太さん

パブリックからパーソナルへ

人を想い、人に還る

「人を想い人に還る」。これは父が長年勤めた大学を退官するときの展示テーマでした。父も現役のデザイナー。とても人懐っこくて、常に困っている人の助けになりたいと思っている人。幼いころから父のつくった椅子に座って、父の書いた図面に囲まれて暮らしていました。デザインの仕事は公私の「私」の部分がとても大事。仕事場でも家でも図面があちこちにあって、職場の人が家に来たり。そんな父の姿を見て、かっこいいなって思っていました。父の影響を受けて、自然とデザインの世界を目指すようになりました。大学受験は一浪まではしてもいいぞ、そう言われて、予定通りしっかり一浪。翌年に藝大に入学しました。

卒業後はグラフィックデザインの道へ進み、30代前後でミラノに行って更にデザインを学び、日本に帰ってからデザイン事務所を立ち上げた。デビューしてからは、東京デザイナーズウィークのカタログに父と私の作品が並ぶこともあった。お父さんに会ったよ、なんて言われることも多くて。若いころは父と一緒に仕事をしようとしたこともありましたが、親子ってけっこうむずかしいなと(笑)。

 

東京デザイナーズウィークのブックレット。親子で同時に掲載(2006年)

 

機能、情緒

イタリアにいるときに、空港で友人に「いつか空港の待合椅子をデザインしてみたいんだ」って言ったことがあった。すると、空港の椅子をデザインする仕事が舞い込んできて、羽田空港第一ターミナルの椅子をデザインしました。ほかにも、仏具の具足をデザインしてみたいと思ったことがあって。もっとこうだったらいいのに。そんな気持ちでなんとなく思い描いていたら、仏壇デザインの依頼をいただくことができた。やりたいことは言葉にしておくと叶う。そんな感覚があります。

モノをつくるときの根底には、必ず「人を想う」という気持ちがあります。商品となって世に出るモノはパブリック(公共)なものだけど、使っていくうちにパーソナルなモノになっていく。デザインを考案するときはもちろん機能性を考えますが、ほんとうに大事なのは情緒的なところ。機能は常に変化し、新しくなっていくから。だからこそ、心に響く作品をつくりたい。椅子ひとつとっても、使っていくうちに傷や思い出が染み込んでいく。特に祈りの道具はパーソナルな部分が占める割合が多いから、おもしろい。亡くなった人を想うとき、自分がどう生きるかを考える。誰かのことを想って何かを考えていると、やっぱり鏡のように自分に還ってくるんだなって。

 

父に連れられて、シアトルのワシントン大学でのパーティにて(1984年)

 

やっぱり親子

中学生までは多くの時間をアメリカで過ごしました。父がアメリカでデザインを学び直したいと言い出したのがきっかけでした。当時勤めていた設計事務所を離れて、合衆国内の街を転々とする生活。ときどき日本に戻ってきて、6年間で5回は転校したな。そのおかげで、環境が変わることには慣れっこです。

父にはいろいろ振り回されたけれど、学ぶことは多かった。大学でデザインを教えていたのに、私には「デザインとはこうである」、みたいなことは決して言わないタイプ。だからこそ、父と同じデザインの仕事がすんなりできたのかもしれない。自然と似たようなことに興味をもち、似たような道を歩んでいて、やっぱり親子なんだなって思います。困っている人を助けたい。そんな父の生きざまは、いまでも変わらず。かっこいいですよ。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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