Sotto

Vol.14

京漆芸彩色・倉橋工房 塗師

倉橋宏明さん

ぼくは祖母を車に乗せて桜並木へ向かった。

京都の漆の伝統を受け継ぐ

京都の漆職人の家に生まれ、幼い頃から祖父母や父の仕事を見て育ちました。大学を卒業後は家業には入らず、半導体部品製造メーカーに就職しました。外の世界を見たかったんでしょうね。当時の半導体業界はとにかく移り変わりが早かった。昨日までは最新だったものが今日には古くなる。技術の進歩とともに、古いものはすぐ捨てられてしまう。ぼくが小さいころから家の中で見てきたものとはまるで違った。漆の仕事は何十年、何百年も前のものが、いまでも使われていますから。

半導体の営業マンとして各地をまわっていると、お客さんから、「なぜ家業を継がないのか」と聞かれることが多くなりました。京都出身で、漆職人の家と聞いたら、みなさん興味をもってくださる。そんなふうにして働いているうちに、伝統工芸に関わる仕事の価値を再確認するようになって、自分がそのバトンを受けつぐべきなのではないかと。26歳のときに家業を継ぐことを決めました。

 

祖母の仕事が半世紀を超えて手元に戻ってきた

 

だれよりも職人気質だった祖母

家業を継ぐと決めたときには、すでに祖父は他界していましたが、社交的で明るい人だったのを覚えています。デパートの屋上にある遊園地によく連れて行ってもらいました。そのデパートに向かう途中にある京都の伝統的なお店にもぼくを連れて出入りして、ここはどこそこの職人さん、ここはどこどこの職人さん、って。子どもながらにいろいろなことを教わったと思います。

営業で外に出ることが多かった祖父とは反対に、祖母は外に出かけることはほとんどなくて。祖母は倉橋家にお嫁に来たのですが、漆塗りの技術を身につけて、黙々と仕事をしていました。新しい仕事にも取り組んでいたようです。「人が休んでいるときに仕事をしなさい。休みの間にやっていれば、人より上手くなるから」と、言っていたのを覚えています。ぼくが仕事をするころにはすっかり隠居生活でしたが、誰よりも職人気質な人。父もよく怒られていたようです。

 

祖母とひ孫、倉橋家の四世代がつながる

 

桜を見るたびに祖母を思い出す

祖母は家の中にいることが多かった。昔から外に出たがらない人。仕事をしているときも、隠居してからも、外出するのは病院に行くときくらい。病院への送り迎えにぼくが車で乗せていくときは、遠慮しながらも、とても喜んでいました。

春になると岡崎の桜並木がとってもきれいなんです。最期のころは、なんとかその桜並木を祖母に見せてあげたくて。ストレートに桜を見に行こうと言ったら、わたしはええわ、って断られるのはわかっていたから、病院に行くふりをして祖母を車に乗せました。広い通りの両脇に広がる美しい桜並木。車の中から、ウインドウ越しですけど、すごく喜んでくれました。それから2度くらいは行けたかな。祖母はそのあとで何度も何度も、あのときの桜がほんとにきれいだった、と語っていました。

桜を見るたびに、祖母の懐かしい思い出が蘇ります。あのとき、ウソをついてでも車に乗せてよかった。大切な人と一緒に過ごせる時間をつくりたい。その気持ちは本当です。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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