Vol.109
循環させるひと
古川理穂さん
なにかに愛されている感覚
国境、年齢、宗教を超えて
福島県白河市の生まれです。中学生のころ、どうしても人とちがうことがしたくて、宝塚を目指し始めたんです。2度受験したところで、「誰かが、右向け、右、と言ったら、それに従う世界」は自分には合わないと気づきました(笑)。もっと広い世界にでて、自由に生きていきたいと思っていた私は進路を変えて、東京外国語大学に進学しました。大学で出会った人たちは、それぞれが自立していて、国際色豊かな環境も私の肌に合っていたみたいです。
大学4年生になる前に、1年間休学して90日間の一人旅にでました。インドからヨーロッパ、モロッコ、サハラ砂漠まで。最低限の安全は確保しながらも、自分の五感を信じて旅をする――。フランスではリヨンからパリまで、人生で初めてのヒッチハイクにも挑戦しました。アジア人の女の子が一人でヒッチハイク!? 危険すぎる! と、何度も言われました。でも、何か起こるときは日本でも海外でも変わらない。もしもそれで死んでしまったら、そういう人生だったんだと受け入れて生きてきたつもりです。それに、“これは大丈夫”と、私の五感が教えてくれました。私を乗せてくれたおじさんは、自分も子どもの頃にヒッチハイクを経験しているから、同じような人を見たら乗せずにはいられないんだ、と言って、パリまでの6時間の道のりを送ってくれました。
「ありがとう」は神様に伝えて
旅の途中でムスリムの女性と宗教の話をしたときに、日本には八百万の神様がいるという話をすると、彼女は、「イスラム教と似ているところがあるね」と言いました。ほかにも、日本人が「いただきます」と言うように、彼女たちは「ビスミッラー」と、同じような意味の言葉を持っています。イスラム教のことはあまり知らなかったけれど、私たちの文化に通ずるものがあると感じました。
スペインに到着した夜、モロッコ料理のレストランで、ヨーロッパでビジネスを営んでいるというムスリムの男性と仲良くなりました。いろんな宗教があるなかで、自分はイスラム教を信仰することで、世界が“いい感じ”にまわっていると話してくれました。宗教は人によってさまざまな意見があるけれど、一度試してみたらいいし、違うと感じたら辞めればいい、とも。食事をご馳走してもらったので、彼にお礼を伝えると、「ありがとうは僕ではなく、神様に言ってね。神様に感謝すれば、神様がいつか僕を助けてくれる」と言いました。
たまたま電車で隣に座っていたおばあちゃんの家に泊めてもらったときも、感謝を伝えたら、「神様はあなたのことが好きなんだね。あなたが神様に感謝することで、私や家族が困ったときに、きっと神様が助けてくれる」と言いました。いままで誰かから、あなたは神様に愛されている、なんて言われたことがなかったから、とてもうれしい気持ちでした。
私を含めて、多くの人が、あらゆる手段で、承認されたい欲求に埋もれている現代において、宗教のような、根拠のない“なにかに愛されている感覚”はとても不思議で、あたたかいものだと感じました。それに、彼らが言う神様に感謝する感覚は、「恩送り」に似ていると思いました。
広がって、小さくなる
一人旅をして、新しい文化や環境、その土地に生きる人たちと関わると、自分の固定観念が崩れていきます。これは違った、あれも違った、を繰り返しながら、でも、かえって世界をより身近に感じられるようになりました。世界が広がれば広がるほど、私の世界は小さくなっていく、そんな感覚です。
大学の卒業制作として、旅の思い出を一冊のフォトエッセイにまとめました。SNSは備忘録のように投稿していましたが、本をつくるとなると、ぜんぜん違ったものでした。日本語とフランス語とを行き来して、何度も言葉を選び直しているうちに自分の感覚や考えが整理されていきました。きっと何十年か経って、自分のフォトエッセイを読んだら、また違った感情や言葉が出てくると思います。そのときに私自身がどんなことをしているかわからないけれど、自分の原点に立ち返るきっかけになるかもしれません。
旅でも日常でも、誰かから受け取ったものはすべてエネルギーだと思っています。自分の受けた愛のエネルギーを、いろんなかたちで、自分らしいかたちで、社会に循環させられるひとでありたいです。
(聞き手=加納沙樹、撮影=岡部悟志)