Sotto

Vol.18

二十六聖人修道院司祭

泉類治(ルイス・フォンテス)さん

亡くなった人のことを想う日

姉は理想のおかあさん

わたしの誕生日は1931年4月1日、ウソではありません(笑)。生まれて3日で洗礼を受けました。当時のスペインは、王さまが亡命して共和政となり、思想を統一するためにすべての教会が焼かれていました。教会がなくなると洗礼を受けられなくなるからと、急いで代父母を決めました。代父母は万が一、実の親が亡くなったとき代わりに親として責任をとることを約束されていて、これはほかの宗教にはないものです。できるだけ親戚ではないよその人がなるのですが、時間がなかったので、わたしの代母にはわたしの姉がなりました。

母はからだが弱くわたしが9歳のときに亡くなったので、姉はわたしたち兄弟にとって母親代わりでした。わたしは姉のことが好きでしたし、わたしにとっての理想のおかあさんです。その姉は、6人の子を育てました。わたしをはじめとする弟たちを世話していたので、自分の子どもの育て方もおおらかで。赤ん坊が泣いていても、「歌い手になるかも」といって泣かせていた。ものの見方や考え方など人生の精神的な支えとなる存在でした。

 

フランシスコ・ザビエルが眠るボム・ジェズ教会(ゴア、インド)

 

永遠のきょう、永遠のいま

姉は40歳で亡くなりました。夏のあいだだけ住んでいる海辺の家で亡くなったのです。問題は、当時のスペインでは死亡した場所で埋葬することが決められていたことです。でも、お医者さんがかしこい人で、姉の自宅がある県まで遺体を運んでから亡くなったことにしてくれた。おかげで、姉の子どもも孫もそばで祈ることができています。

日本にいて感じるのは、日本人は日にちにとらわれすぎるということ。生まれた日や亡くなった日に何かしなければうまくいかない、ということはないのです。クリスマスにキリストが生まれたという記録はありません。あとから人間がその日にしたというだけ。生まれた日とお祝いする日は違ってもいいのです。神さまには前も後も関係ない。きのうもあしたもなくて、永遠のきょう、永遠のいまなのです。亡くなった人のことを想う日も、きょうでいいのです。

 

フォンテスさんが描いたキリシタン関連の教会のスケッチ

 

そのさきにある可能性に興味を

わたしが勤めていた上智大学の教会では、日本で初めて、キリスト教徒でなくても教会で結婚式を挙げられるようにしました。ただ、信者にならなくてもいいけれど、キリスト教の教えを知ってほしくて講座を設けました。これまで2600組くらいの結婚を見届けました。わたしは結婚していないし子どももいないけれど、孫は5000人くらいはいます(笑)。

来月には90歳になります。お医者さんからは、無理しなければ100歳まで元気で働ける、と。それを信じて100歳までの計画をたてました。

死ぬことと生まれることは似ています。この世に生まれ出てくることは大変です。寒さや飢えに耐えなければいけない。母親のお腹のなかでは守られている。だから、生まれないほうがいい、生まれたくない。でもそれは、新しい可能性に興味がないということでもあります。死にたくない、も同じです。100歳を過ぎても生きていればまた計画をたてればいい。神さまがお望みなら死んでもいい。ただそれに従うだけです。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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