Sotto

Vol.9

絵本作家

長野ヒデ子さん

なりゆきが不思議を生む

出会いのままに受け入れる

愛媛県越智郡富田村(現在の今治市)に生まれました。実家は造り酒屋だったけど、ずいぶん前に廃業して、昔のことは詳しく知らなかった。仕事で糸魚川に行くことがあって、2016年に起きた大規模火災の焼け跡を見せていただきました。焼けた蔵のふすまを見ていたら、「今治」と書かれたものが出てきた。そこで実家の酒蔵の歴史をあらためて知ることになりました。瀬戸内の造り酒屋は冬は酒造り、夏は塩田で塩造り。お酒やお塩を北前船で糸魚川まで運んで、そこから信州まで届ける塩の道につながっていったんです。酒蔵はもうなくなって今は一族のお墓だけ残っています。実家のような親戚や友人も多くいますので今治とはお墓だけでつながっているようでそうではなく、帰省するといまだに昔の付き合いがあり、ありがたいです。

生まれた富田村は無教会クリスチャンで経済学者の矢内原忠雄の出身でいろいろな縁があり、その影響でわたしたち家族はなんとなく無教会クリスチャンの家庭集会に行くようになりました。転勤族で福岡転勤の時にそこで中村哲医師と出会いがありました。瀬戸内の海のそばで育ったので、海のそばで暮らしたいと、いまは鎌倉くらし。

毎朝裏山の源氏山でラジオ体操をするのが日課なの。ラジオ体操仲間が実に楽しい人ばかり、ときどき寝坊もしますがそこから富士山が見えるのですよ。見えるだけでうれしいから、それを絵本にしました。いつも行きあたりばったりだのに、創作も、人ともいろんな出会いがあって不思議。そこでときどき自作の紙芝居なんかもするのですよ。

 

2020年12月25日、鎌倉の自宅にて

 

かこさとしさんとの思い出

哲学者であり、科学者であり、絵本作家。加古里子さんは大好きな作家です。出会いは40年くらい前。福岡の太宰府で「文庫のおばさん」をしていたときに、加古さんにお手紙を書いたことがきっかけでした。とにかく子どもが大好きで、子どもとちゃんと向き合ってくれる人。子どもたちが一番会いたい人が加古さんでした。全国紙芝居まつりというのがあってね。加古さんは、生まれ故郷の福井県越前市でぜひと。そこで10年ほどかけて越前市で紙芝居が好きな人達と交流して、今年の8月に開催することになりました。

2017年に、加古さんが巌谷小波(いわや・さざなみ)文芸賞を受賞され、私も久留島武彦(くるしま・たけひこ)文化賞を授賞し同時の授賞式が山の上ホテルで行われました。授賞式で一緒にあいさつをしました。加古さんが亡くなられる2年前です。「ここの天ぷらをぜひ食べなさい」って。加古さんのお別れ会ではヨシタケシンスケさんと私が追悼の言葉をお話しさせていただきました。加古さんの原点は紙芝居だけど、当時の作品はほとんど出版されていないのです。加古さんが演じた紙芝居の音声がどこかに残っていたらな、と思っています。

 

孫娘の絵日記「天はなぞにみちてるね」

 

きれいでないもののほうを選ぶ

とりあえず来るものは拒まず。でもね、きれいなものと、きれいではないものがあったとして、どちらかを選んでいいよと言われたら、どうしても、きれいではないもののほうを選んでしまうの。何故かしらわたしのこの性格。きれいでないものって、みんなによけられてしまうでしょ。なんだかいとおしいの。いつもそんなふうだけど、不思議とおもしろいことにつながっていくのよ。

この前も高知の日曜市で、たまたま古い江ノ島の絵ハガキを見つけて、買ったの。そして、その絵をよく見たら、江ノ島の塔のところに『平和の塔』って書いてある。びっくり! はじめて、あの塔の名前を知ったのね。まわりの人に聞いてもみんな知らなくて。鎌倉は全国で最初に平和都市宣言した都市、このことも伝えていきたいなあ。私たち「鎌倉えほん作家の会」の仲間で記念の日に絵本や紙芝居をやっているのですよ。なんだかそうやって、おもしろいことになぜかつながっていくのです。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

 

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