Sotto

想雲夜話

第10夜

ワンセット

 

夏の雲はどこまでも白く、どこまでも高く。風が吹いて、草をなびかせる音も、蝉が鳴いて、飛び立ったあとの余韻も、世界の音はみんなみんな青い空に上ってゆく。ひとり大地に残されたわたしも目をつぶって舞い上がる。それにしても、夏の盛りはどうしてこんなに静かなのだろう。

 

夏草や兵どもが夢の跡

――松尾芭蕉

 

こんなことばがある。出会いは別れの始まりだ、と。たしかにそうだ。毎日毎日、大きなものから小さなものまで、ありとあらゆる場面で、わたしたちは出会いと別れを繰り返して生きている。いってらっしゃい。おかえりなさい。久しぶり。またこんど。もっとも、出会いも別れも、自分で選んでいるようでいて、実は選ぶことなんてできなくて、だからこそ、出会うたびに安心したり心配したり、別れるたびに期待したり落ち込んだりする。

こんな言い方もある。出会いの数だけ別れがある、と。だれかと出会い、そのだれかと別れる。それでワンセット。なるほど、別れのほうからたどってみれば、だれかと別れるためには、そのだれかとまずは出会っているのだから、出会いと別れはいつもワンセット。たしかにそうだ。それによく考えてみれば、いま現に目の前の存在として出会っているあいだだけが、出会いというわけでもあるまい。ここにいなくても、いますぐ会えなくても、わたしたちは出会っている。それはつまり、わたしたちはいつもいつも出会い続けていて、そしてそれと同じ数だけ別れ続けていて、だから自然と口に出る。おはよう。またあした。

出会いと別れがワンセットで、あるいは、出会い続けていながら別れ続けてもいるとして、それなら別れのさみしさは消えてなくなるかといえば、そうでもない。この世の理(ことわり)を理解することと、実際にこの世で生きることとはまったくの別モノで、ただ、それでも、わが生身を少しずつでも理の指し示すほうへと寄せていけば、いつかきっと出会いも別れもどちらも同じくらい愛着と感謝をもって受け止められるのではないか。別れが辛いからと出会いを拒絶したり、出会ってしまったのに別れを受け入れられなかったり。そうではなくて、できることなら、そうではないほうへ――。

だが、季節はめぐる、人生は一度きり。ああ、時よ止まれ!

 

🖊 平野有希

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