Sotto

想雲夜話

第11夜

わが手の甲に

 

夏はもはや遠く去りゆき、しかし、その旺盛な精神はいまだここに漂っている。その風情を三島由紀夫は、「夏が老いてゆく」と言った。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、また夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て。人もおなじく、若者はやがて歳を重ね老人になり、世を去り、そしてまたつぎの若者が歩き出す。老人が若者になることはなく、まぶしいほどの若さが失われて、なお残るものはなんだろう。

 

“Schönheit vergeht, Tugend besteht.”(美は移ろえど、徳は滅びず)

――ドイツの格言

 

『羊飼いと風船』というチベット映画を観た。チベットの伝統的宗教観は輪廻転生がベースにあって、じいさんが死ぬのとほぼ同時に赤ちゃんが生まれたら、それはじいさんの生まれかわりだという。理屈はいったん脇に置いて、人々が輪廻に込めた意味を考えてみる。

個人の問題としては、生まれかわりを想定することによって、大切な人を亡くした悲しみや喪失感を鎮め、癒し、前を向いて生きるエネルギーを持てること。大きな集団としてとらえてみると、生まれかわりによって構成員の欠落が補充され、集団規模を維持できること。すると、生まれかわりは、残されたものが生き延びるための希望というわけだ。

けれど、もしあなたが誰かの生まれかわりだとして、そしていまを生きているとして、あなたにとって、生まれかわられた側(亡くなった人)は何かの希望であろうか。周囲の希望(亡きじいさんを思い出すとか、集団の構成員としての役割を与えるとか)は、あなたが生まれる前から託されていたもので、あなた自身が選び取ったものではないし、いまを生き抜くためのエネルギーになるわけでもない。あなたはあなた自身を生きるのであって、ほかの誰かを生きることなんてできやしない。

 

生きるというのは、いつもそんなふうに、他者の希望と自己の選択とがせめぎ合って、そうしているうちに、いつしか若い肉体は輝きを失い、精神は瑞々しさを失う。だが、そこで残ったものは? わが手の甲に深く刻まれた皺や襞――。その表情は穏やかに、ひとり手と手を握り、包み込むその温かさよ。

人はみな老いる。その横を時は静かに流れてゆく。

 

🖊 平野有希

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