Sotto

Vol.7

歌人・英文学者

大田美和さん

良い出会いのために、準備しておきたい

松が谷の木

私が中央大学の教員になって間もないころ、教え子のひとりを亡くしたことがありました。学校を卒業して、たしか就職の研修中だったかな。これからというときの交通事故でした。若い命を失うのは本当に悲しいことです。彼の葬儀はまるでハムレットの最期のようでした。それから彼のことを想うことが多くて。勤務先の中央大学までモノレールで通っていて、途中で松が谷駅を通るんです。そのあたりの風に揺れる木々を見て、その枝先に彼の魂が登って止まっているように感じたことがありました。電車に乗りながら、不思議とそんなことを思ったのです。きっと、そうやって私の中で心の整理をしていたのでしょうね。

 

2003年11月、中央大学教授就任講演会にて

 

希望や理想を捨ててはいけない

学校に勤めていると、嬉しいことだけではなくて、心が痛む出来事もたくさんあります。学生たちの気持ちになって、一緒に悲しんだり、気持ちが落ち込むこともあります。私の若いころは本当に恵まれていた時代でした。いまは、社会の先頭に立つべき大人たちが未来を描けていない。若い人たちは今の世の中に対してもっと不満を表明していいと思います。でも、多くの人がそのおかしさに気づいていない。ダイバーシティと言いながらも矛盾だらけ。それでも、私たち大人が希望や理想を捨ててはいけない。と、つねに思っています。学生たちと接していると若者の柔軟さを感じます。素直に吸収できるからこそ、大人が理想を語らなくてはいけない。

 

 

She was a good girl.

学生時代のことです。大学院の同級生がアメリカ留学から帰ってきて、さあ、これから道が拓けるぞという、ちょうどそのときに肺炎を患って、一年の闘病の末に命をおとしました。28歳でした。当時お世話になっていたイギリス人の教授が彼女の葬儀でお悔やみの言葉として、ひとことだけ、“She was a good girl.”。なんて冷たい人なんだと、虚しい気持ちになったのを覚えています。私自身もそのとき乳がんを克服したばかりだったので、自分もそんなふうに言われるのかなって。でもいまではその言葉を理解できるような気がします。とても信頼している先生だったから、自分の病気のことも話していました。先生は私に“It’s not the end of the world. You can adopt a child.”と言ってくれました。日本の文化では、なかなか言えない言葉だと思います。文化が違うからこそ、かける言葉や考え方の違いがある。英語だから私も話しやすかったのかな。英語ができると話せる人の幅が広がるし、考え方も視野も広がりますよ。

 

1991年3月、鎌倉にて

 

未来を信じて、いまできることを

人は会いたいからって、いつでも会えるものではない。でも、生きている限り「出会い直す」ことはできる。ときには出会い損ねることもあると思います。でもね、死んでも私の言葉は生き続けます。過去の自分のことを語るのは恥ずかしいと思う人も多いかもしれません。でも、私は違う。過去のどんな体験も活かしたい。文豪と呼ばれる人たちも最初から文豪だったわけじゃない。自分自身の過去を含めて、胸を張って書き続けたい。そして、これからある素敵な出会いを迎えるための準備をいつもしておきたいですね。

“Noblesse oblige”という言葉があります。私たちは過去と未来をつなぐ通過点に生きている。未来のことはわからないけど、未来を信じて、いまのわたしにできることをやり続けたいと思います。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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