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So Story

『So Story』が目指すのは、現代の生活者のライフスタイルや故人を想う気持ち、供養に対する考え方にあった「自由な祈りの空間」を、見える化(言語化)すること。「人を想うとは」「自分にとっての祈りの空間とは」。
さまざまな分野で活動する「わたしたち」の声を積み重ねたその先に、きっと新しい景色が待っている――。

他人の喜びに寄り添える人であれ

他人の喜びに寄り添える人であれ

他人の喜びに寄り添える人であれ
Vol.95

他人の喜びに寄り添える人であれ

いつもだれかが 祖父は京都、祖母は横浜の生まれでね。結婚を認めてもらえず、駆け落ち同然に東京へ行って、それから関東大震災のあとに滋賀の大津に来ました。当時はまだ読み書きができない人も多かったそうで、祖父は家業であった刺繍と読み書き、祖母はお花を教えながら暮らしていました。そうして私の母が刺繍を受け継ぎました。

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最後まできれいで、ちょっと不思議な人でした。
Vol.93

最後まできれいで、ちょっと不思議な人でした。

優等生と退学届(吉岡と小林) 小学生のころは、何も考えずに先生の言うことを聞く、いわゆる優等生でした。社会に対する疑問を持ちはじめたのは高校の同級生の吉岡宏晃と出会ってから。彼の影響で政治とか社会思想の本もいくらか読むようになった。

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コーヒーを入れるとき、食事をするとき。
Vol.91

コーヒーを入れるとき、食事をするとき。

ひとりで決断した特別な日 父はわたしが大学4年生のときに亡くなりました。クリケットやフットボールが大好きで、高校の体育の教師をしていました。体が大きくて、髭を伸ばして、赤い服が好きだったから、クリスマスになると子どもからサンタだ!

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人を大切にする、それがいちばん大事。
Vol.76

人を大切にする、それがいちばん大事。

技術と信頼と 2年半前に父を亡くしました。珪肺を患っていて、6年前に一度倒れてからは発作と治療を繰り返していました。医師からは薬が効くのも4回までが限界だからと言われていたのに、父は12回ももったんです。

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未来を育てるはたらき方
Vol.74

未来を育てるはたらき方

ベースにあるもの 15年前に父が亡くなりました。64歳。持病もなく、あまりに突然のことで、本人が一番びっくりしているかもしれません。当時、家族の中で仕事のことがわかっていたのがわたしだけだったということもあって、会社を継ぐことにしたんです。...

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伸ばした両手に巻き付けた、母の毛糸玉 メイン画像
Vol.1

伸ばした両手に巻き付けた、母の毛糸玉

「M」のワッペンが付いたおさがりのセーター 母は裁縫が得意な人で、わたしが小さい頃はよく手づくりの洋服をあつらえてくれました。ひとつだけ、母が「M」のワッペンを縫い付け......

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