Sotto
ESSAY想雲夜話
第18夜
2024-10-11
INTERVIEW人を想う
Vol.110
2024-09-20
南部盛岡チャグチャグ馬コ同好会会長
第17夜
2024-08-09
Vol.109
2024-07-17
循環させるひと
第16夜
2024-06-28
史上最多とか、過去最高とか、たしかに数字をならべてみれば、選手たちは過去の記録を着実に更新してゆく。更新されない記録などなく、いつの時代も人類は進歩しているのだ、と。だが、こらえて立ち止まれ。昨日が明日に届かないからといって、明日が昨日よりも輝いているとは限らず、過去が未来を追い越せないからといって、未来が過去よりも温かいとは限らない。天を突く大木もいつか葉を落とし、やがて朽ち果てる。肉体は盛り、衰え、美は高まり、翳る。世の常とはそういうもので、それなのに、時代も条件も道具も、もしかしたらルールすら異なる土台の上に成立した記録をそれでも比べるとき、そこに見出そうとするものは何だろう。わたしたちは何を超えようとしているのだろう。
うちは代々の農家で、わたしは6代目です。農業高校を卒業してすぐに家の仕事を始めました。子どものときに両親といっしょに馬車に乗って畑まで行ったという、かすかな記憶があります。あのころはまだ馬がいないと農作業できない時代でした。そのうち機械化が進んで、
夏の夕暮れが好きだった。日が傾いて、風が出てきたころ、読みかけの本を手に六畳間に寝転ぶと、開け放った窓の網戸の向こうから近所のひとの声や車の音や犬の鳴き声が聞くともなしに聞こえてくる。しだいにわたしの心は浮き上がって、ただひとり、この世から離れて、静かに漂いはじめる――。昼と夜の境目、現実と幽玄の狭間、どちらともつかないクロスオーバー、そのわずかな時間がわたしの居場所だった。
福島県白河市の生まれです。子どものころからずっと宝塚を目指していました。2度受験したところで、「誰かが、右向け、右、と言ったら、それに従う世界」は自分には合わないと気づきました(笑)。もっと広い世界にでて、
このごろ、できていないことがあまりにも多くてどうにも情けない。これはスランプだとか、生みの苦しみなのだとか、クリエイティブってそういうものだとか、カンヅメになったらいいのかなとか、そんな言い訳はすらすらと出てくるのに、肝心の筆はいっこう進まない。 そうしたら、そうだ、これを見てください、と言って、彼がA5サイズの、28ページほどの冊子をわたしにむかって差し出した。
2024-04-09
Vol.108
釜石漁火の会事務局長
釜石は人種の“るつぼ”でね。“東北のニューヨーク”って言われるんですよ(笑)。製鉄所ができて全国から人が集まって、地元の人たちも働くでしょ。東北各地で言葉が違うばかりか、釜石市内でも東西南北で言葉は違います。言葉が違うということは、命に関わる。
2024-03-25
第15夜
どこかの公園の大きな池。わたしは池の真ん中で、ボートの底に寝そべり、空を見上げている。ボートの底に穴があいているのか、だんだんと水が入ってきて、そのうちに顔だけが水面に出ている状態になる。が、とくに困った様子もなく、助けを求めるわけでもなく、わたしは池に浮かんだまま、周りのボートに乗っている人たちの会話や、池のほとりに座っている人たちの会話を聞いている。のどかな春の午後。
2024-02-10
Vol.107
放送作家
生まれは山梨の甲府ですが、空襲から逃れるため家族で北海道の旭川へ疎開しました。終戦後は高校まで旭川で過ごし、映画を学ぶために日本大学芸術学部に入学しました。兄と弟がいましてね、兄は演出家として、弟はグラフィックデザイナー・版画家として、わたしは映画の道へ、それぞれ進んでいきました。
2024-02-02
第14夜
昔、貝がらに耳をあてると、波の音が聞こえるという話があって、海にいくといつも浜辺で大きくてきれいな、渦巻きの貝がらを探してひろった。 耳をあててごらん。聞こえてくるから。 出口というのか入口というのか、貝がらのラッパところに耳を押しあてて、じっと集中していると、サァーとかザァーとか、波のうち寄せるリズムのような音が、ぐるぐるの奥のほうからやって来た。プールでもお風呂でも、耳をふさいで潜ったときに聞こえてくる音は、からだのなかを血が流れている音で、貝がらの奥からやって来る音もそれと同じことだと言われたけれど、でも、それは波の音だった。
2023-12-20
第13夜
劫初より作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘ひとつ打つ ―― 与謝野晶子 仏教で〈最も長い時間〉を表すことばを「劫(ごう・こう・くう)」という。どのくらいの時間かというと――ここに一辺が160キロメートルほどもある大きな四角い石がある。その石を100年に一度、ごく薄い羽根でさっと払う。何度も払っているうちにだんだんと大きな石がすり減って、すっかり地面とおなじになっても、まだ「一劫」は経過していない――
2023-12-10
Vol.106
usubane
子どものころのぼくにとって、自由が丘といえば、両親の買いものに連れていかれて、さいごにおもちゃ屋さんや本屋さんに寄るのが唯一の楽しみ、というくらいの街でした。
2023-11-20
第12夜
わたしたちは受け取る情報の8割を視覚に頼っているというから、朝起きて夜寝るまでのあいだに、どこを見るか、なにを見るか。ちょっとした目のやりどころが、知らず知らず、自分の生き方をかたちづくっているのかもしれない。
2023-11-10
Vol.105
デザインディレクター
家族仲のいい家庭でのびのび育ちました。父方の家が敬虔なキリスト教徒だったこともあり、我が家はわたしが生まれたときからキリスト教の家庭でした。毎年の誕生日にメッセージカードをもらうのですが、必ず聖書の言葉が書かれていました。
2023-09-10
Vol.104
出る杭
英語教員を志したのは、これまでに出会った先生たちの影響です。中学校の増子平八郎先生もそのひとりでした。社会科の筆記試験で、教科のテストに加えて口頭試験を行うような先生でした。「好きな政治家の名前を言ってみろ、その理由は?」とか、授業内容に関したいろいろな質問をするのです。昼休みになると新聞からおもしろそうな記事を選んでは、
2023-08-20
第11夜
夏はもはや遠く去りゆき、しかし、その旺盛な精神はいまだここに漂っている。その風情を三島由紀夫は、「夏が老いてゆく」と言った。夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、また夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て。人もおなじく、若者はやがて歳を重ね老人になり、世を去り、そしてまたつぎの若者が歩き出す。老人が若者になることはなく、まぶしいほどの若さが失われて、なお残るものはなんだろう。
2023-07-20
第10夜
夏の雲はどこまでも白く、どこまでも高く。風が吹いて、草をなびかせる音も、蝉が鳴いて、飛び立ったあとの余韻も、世界の音はみんなみんな青い空に上ってゆく。ひとり大地に残されたわたしも目をつぶって舞い上がる。それにしても、夏の盛りはどうしてこんなに静かなのだろう。
2023-07-10
Vol.103
医師
興味がわくと深掘りしたくなる性格です。自分が知らないこと、よくわからないと思うものほど学びたくなる。哲学の本が好きなのは、一見何が書いてあるかわからないから。大学生のときに初めてハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んだのですが、さっぱりわからなくて10ページで
2023-06-20
第9夜
分厚いカーテンも、障子も、ガラス戸も閉じたまま、夜明け前の光がぼんやりと染み込んでくる部屋で、わたしは畳の上に寝ころんだまま、昨晩君が口にした言葉を頭の中で繰り返している。いまのぼくには、生きる希望がないんですよ――。
2023-06-10
Vol.102
ネイチャーガイド
想いをつなぐ メガネをかけてるのは視力矯正のためではなくて、鳥をすばやく見つけるためなんです。三宅島はバードアイランドとして有名で、シーズンにはたくさんのバードウォッチャーが来島します。日中、人とすれ違うことはあまりないけれど、自然のあるところに行くと、人に会えますよ(笑)。
2023-05-20
第8夜
振り返っても戻れないならば、呼びかけても帰れないならば、振り返らず、呼びかけず、すべて忘れてしまえばいい。けれど、それもまた、許されず。高くかざした手の先にわたしは何を求めているのだろう。 この世は舞台、人はみな役者。 ――『お気に召すまま』シェイクスピア
2023-05-10
Vol.101
新聞記者
敗者の深みと墓碑 ちょうどバブル経済のころに経済部に配属されました。兜町で取材をはじめたのが1987年ですから、NTT株の上場などがあって、株価がどんどんどんどん上がっていく、「大活況相場」と呼ばれていた時代です。そこから後は陰りが見え始め、
2023-04-20
第7夜
鴨長明は、ぢっと河を見つめているうちに、気がついた。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、と。永遠とも思える河の流れと、その上に浮かんでは消えてゆく泡沫(うたかた)と。大いなる時の流れを思えば思うほどに、人のいのちのはかなさを知る。この世の無常を悟ったと同時にまた、悩みもいっそう深まったにちがいない。一瞬のいのちを、それでも生きていくというのは、いったい何だろうか。
2023-04-10
Vol.100
羽黒山伏
感じることが答えだ ぼくの師匠、星野文紘先達⋆からは、「頭で考えないで、ちゃちゃっと身体で考えろ」と、よくたしなめられました。大人になると他人から怒られることはほとんどありませんが、最初のころはみんなの面前で罵倒されることもしばしばあって……。
2023-03-20
第6夜
「目から遠いと、心から遠い(Loin des yeux, loin du coeur.)」というフランスの格言があって、そうだよなあ、そうだよなあ、と、その言葉の力強さに気圧(お)されて過ごしてきた。でもいずれ、そう、いずれ、どちらが先かはわからないけれど、でもいずれ、愛する人は遠くへ去ってしまう。いのちというのはそういうもので、しかたがないことだ。が、せめて心の中には、いつも近くにいてほしいと願うのもまた、しかたがないことだろう。さて、どうしたものか。
2023-03-10
Vol.99
ドメーヌ・ボー
誰でもいいわけじゃない ここから見える景色、めちゃくちゃいいでしょう? いい景色には、悲しみや苦しみを癒す、すばらしい力がある。その自然の力を、ワインに込めたいのです。 ワイナリーをはじめたのは、
2023-02-20
第5夜
冬と春のちょうどの境目がどこにあるのか、目を凝らして探してみたら、冬至に行き当たった。ここまでが冬ですよ、ここからが春ですよ、と。生きることも、死ぬことも、出会いも別れも、そんなふうにわかりやすく示されていたら、
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