Sotto

Vol.100

羽黒山伏

加藤丈晴さん

理想の関係性

感じることが答えだ

ぼくの師匠、星野文紘先達*からは、「頭で考えないで、ちゃちゃっと身体で考えろ」と、よくたしなめられました。大人になると他人から怒られることはほとんどありませんが、最初のころはみんなの面前で罵倒されることもしばしばあって……。ふだんは「たけはる」と下の名前で呼んでくれるのに、そういうときは、「かとう!!」って苗字で叫ぶんですよ。

「身体で考える」というのを頭で考えると、よく意味がわからない(笑)。ぼくは広告屋だったから、いかに早く伝えるか、目的に達するか、ゴール設定型のマインドセットが体に染みついている。でも、山伏の修行は、何も問わない。問うてはいけないのです。何を言われても、「うけたもう」、ただそれだけ。目的を持たずに身を置かなければ得られないものがある、という設定のもとにあります。

星野先達は、「見えないものを見えるようにするには、もともと自分自身が持っているもの(力)と、ちゃんとつながり合うこと、感性や感覚を取り戻すことが必要で、そのために修行や祈りがあるのだ」と、よく言います。山伏修行では、ブランドやデザインなどの記号性を持たない白装束を着て、自己紹介もせず、会話もすることなく、知らない者同士が3日間寝起きを共にする。そのなかで、知らないながらも、うっすらとその人のことが見えてくるんですね。大切なのは、理屈ではなく、目の前にあるその関係性から自分が感じることだ。そして、それが答えなのだ、と。

※先達(せんだつ)……修験道で山に入る際の指導者のこと。

 

記号性のない白装束が、かえってその人の本性を浮き立たせる

 

大きな存在と石ころと

2019年に父が、2021年に母が他界しました。妹を含めた家族4人の関係はとても良好だったので、父母それぞれを看取った経験は、自分にとって意義深いものになりました。両親のことはいまでもよく夢に見ますが、いつも静止画なのです。不思議ですね。

父は生前、コンピューター関連の会社を経営していて、ぼくに会社を継がせたかったようです。でもぼくは鶴岡に移住して山伏になってしまった。そのことで父とのあいだにはちょっとした確執があって、いまだに居心地の悪さを感じているのは事実です。でも、死ぬまでずっとチャレンジし続けた父のことは心から尊敬するし、ぼくもそんな人生を送れたらいいなと思います。それだけ父は大きな存在で、だからぼくも、自分の息子にとってそんな存在でありたい。そんな存在たり得ているかというと……、まだ発展途上かな。

亡くなった人や祖先の魂が安寧であるよう繰り返し祈ることは、山伏の大切な役割のひとつです。ぼくは24時間365日山に入っているわけではないけれど、山伏としての修行や祈りを通じて、人も人以外のもの(それが石ころであっても)、まわりのものすべてが自分の支えであって、隔たりなく共にあれればいいと思っています。

 

人も人以外のものも、まわりのものすべてが隔たりなく共にあれ(2023年、羽黒山)

 

手を広げて受け取る

息子が「学校へ行かない」という判断をしたとき、ぼくはすぐに受け止められませんでした。人生にはいろいろな選択肢があるし、その選択肢は本人が選ぶべきだと、頭では理解していたけれど、いざ直面すると、「学校には行くものだ」って。自分の中にそういう設定があって、世の中の「当たり前」や「当たり前じゃない」を、近視眼的にしか見ていなかった。ほんとうの意味で息子が求めていることを、手を広げて受け取る、その難しさ、ですね。このことは、ぼくにとっての大きなチャレンジになりました。いまでは息子の存在が、自分の考えかたや行動を方向づけることもあります。

先日、息子とふたりでニュージーランドへ旅行しました。15歳の年ごろですから、ポツポツ話す程度でしたが、父親が山伏をやっていることをどう思うかたずねてみると、「父ちゃんには父ちゃんの人生があるんだから、山伏だって悪くないよね」と、肯定的でね(笑)。こんな会話ができるようになって、ありがたいなと思いました。

自分の子どもであっても、目上の人であっても、フラットに付き合いたい。そして、その人が大切にしていることを、自分も大切にできる関係性でありたい。それが理想です。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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