Sotto

Vol.113

ポンコツ珈琲

杉本直人さん

届いてほしいと願いながら

料理はおもしろい

小さなころから料理は身近なものでした。両親が離婚したあと父方の祖父母と一緒に暮らしていたので、おばあちゃんと家の畑で採れた野菜で調理したり、むかしながらの古い道具を使ってハブ草茶をつくったり。おじいちゃんとは釣りに行って魚をさばいたり、自宅の土間に置いた七輪で魚を焼いたり。ふたりからいろんなことを教えてもらいました。

学校の授業では家庭科がいちばん好きでした。絵を描くのも好きだから、美術の授業も好き。中学生のときに祖父母が亡くなって、父と姉弟、家族4人分の夕飯を毎日僕がつくることになりました。『レタスクラブ』を買って読んでは真似して、レシピは切り抜いて、野菜やソースなどの項目にわけてファイリングして。全部で5、6冊になったかな。やりたいことは文系だけど、脳みそ的には理系(笑)。いろいろな組み合わせや調理方法を考えるのは、化学みたいでおもしろいですね。

盛岡に来る前に飲食店とコラボイベントをして、料理を目当てに来た人が、料理に合わせて僕が選んだお酒を飲んですごく喜んでくれたのです。それで、ちゃんとお酒を知っている人間が、ちゃんと料理もつくって紹介できたほうがいいなと。人に任せるのは嫌だから、自分でしっかり料理を学びたいと思いました。いまは、面白い組み合わせがないか、魯山人サンの本を読んだりして、休みの日も料理のことばっかり考えています。

 

伝えたい気持ちをお酒や料理に託して、さあ、届け(2025年、盛岡)

 

いまの僕の役割

ある日、ひとりで居酒屋に行って日本酒を頼んだら、思っていたものとぜんぜん違って、そのとき初めてお酒を美味しく感じた。米だけでつくったのに、こんなに味の振れ幅があるなんておもしろいな、と思ったのが日本酒にハマったきっかけです。それからは、どんなバリエーションがあるのかに興味を持って、全国の銘柄のラベルをノートに貼って、それぞれの特徴をまとめました。大学院では、熊本・阿蘇の地下水が研究テーマでしたが、勝手に酒蔵で使っている井戸水も調べていました(笑)。熱燗が好きになってからは、温度の変化を調べるのが楽しくて、いまもそれをまとめています。

 

阿蘇の地下水を調査するかたわら、酒蔵の井戸水も調べた(2018年、熊本)

 

熱燗に向いているお酒は、生酛(きもと)づくりと言われる、昔ながらの造りかたが多いです。祖父母との暮らしは、手づくり感のあるもの、工業的につくられたのではないものであふれていました。そのほうが、人を感じることができる。そういう日常があったから、酒造りも伝統的な手法に惹かれます。

自分の好きなものをまわりの人に知ってもらいたい。そのために何をするのがいちばん効果的かを考えています。時間も自分ができることも限られているなかで、どれだけ意味のあることができるか。日本酒造りが途絶えないようにしたい、という思いが強いです。だから、自分が若いうちに、若い人にアプローチして日本酒の裾野を広げる。それが、いまの僕にできることであり、僕の役割かな。

 

 

人との関わりかた

生まれは広島で、大学進学で神戸に。高知の酒蔵に就職して、島根へ移って、いまは盛岡で暮らしています。土地によってカラーはまったく違うけれど、あんまり人に関与せず、ほどよい距離感でいるから、どこでも大丈夫です(笑)。

もともと僕はものすごく人見知りで、高校生のころまでは「どうしたらひと言も喋らずに一日を終えられるか」と考えていたほど。だから、自分を表現する方法は、着る服や絵や料理。言葉で表現するのが苦手なぶん、大事にしていることです。伝えたいという気持ちはたくさんあるから、僕が言葉以外の方法で発信したものを相手にキャッチしてもらうことで対話したい。そんなふうに、相手に届いてほしいと願いながら表現する、何かを介して相手とつながる、それが僕の人との関わりかたで、いまは、お酒や料理を介して人と関わっています。

いちばんうれしいときですか? 自分がベストだと思う温度で熱燗を出して、説明なしで美味しく飲んでもらえたとき、ですかね。ああ、よかった、と思います。

 

日本酒の魅力を若い世代に伝えるのも「自分の役割のひとつ」

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

 

Share

So storyでは
読者のみなさまのご意見、ご感想をお待ちしております。