Sotto

Vol.112

『論語義疏』研究者

影山輝國さん

人は記憶の中に生きるもの

幸運と天命と

もともとは、漢代の災異思想*を専門にしていました。『論語』はあまりにもポピュラーすぎて、研究する人も少なく、わたしもずっと見向きもしませんでした。でもあるとき、『論語』におもしろい解説書が存在することを知りました。6世紀の中国人が書いたもので、日本にも伝わってきたけれど、その後、中国では失われてしまったので、日本にだけ写本として残っている、と。それが、皇侃(おうがん)の著した『論語義疏(ろんごぎそ)』です。その後、調べてみると日本国内に全部で36の写本が残っていることがわかって、しかも幸運なことに、そのうちのひとつを手に入れることができました。手に入れたからにはちゃんと翻訳しなくちゃいけない。これは自分に与えられた天命だと思って、翻訳をはじめたのです。

 

『論語義疏』の写本のうちの一巻。700年以上の時を経てなお鮮やかな筆づかいが目に飛び込んでくる。

 

『論語』は全部で10巻20篇。その解説書だから、それだけの分量があります。写本というのは、書き写す人が漢字を間違えたり、読みやすいように勝手に文字を変えてしまったりしている箇所もある。それで、36の写本すべてを読んで、文字の違いを調べ、翻訳するための定本(ていほん)を決めました。それはそれは気の遠くなるような作業でしたが、20年かかって、ようやく、あるべき姿はこうだろうと決めることができた。こんどはそれを日本語に訳して、いま、確認のために、もう一回見直しているところです。

解説書の多くは、ひとつの解釈しか書かない。でも皇侃は、こういう解釈もありますよ、といくつかの解釈の可能性を挙げてくれている。しかもそれが、あっと驚くような解釈でおもしろい。でもやっぱり、これが日本にしか残っていないというところに惹きつけられますね。

 

※災異思想(さいいしそう)……天変地異は天が為政者をけん責したものとする考え方。

 

 

“白ばらのプリンス”の名講義

高校生のころから漢文が好きでした。大学受験のために通った代々木ゼミナールに、多久弘一先生という漢文の名物教師がいてね。“白ばらのプリンス”と呼ばれて、教室はいつも超満員。先生の授業になると、教卓に白いばらが飾ってある(笑)。授業の内容がおもしろくて、いま思い返してもすばらしい講義だった。中国で長く暮らしていた方で、いろいろな話をしてくれました。中国には「好鉄不打釘、好人不当兵」という諺がある。「よい鉄は釘にならない。よい人は兵隊にならない」という意味で、中国の知識人は兵隊になるのを嫌うのだ、と教えてくれました。「釘(ティン)」と「兵(ビン)」で韻を踏んでいる。中国語の柔らかい発音がとてもきれいで、興味を持ちました。いまでも覚えていますよ。教師の影響って、大きいですね。

 

“白ばらのプリンス”の講義に感銘を受けて、中国語に惹きこまれていった高校生のころ(1966年)

 

高校を卒業して、東京外国語大学の中国語学科に入りました。でも外語大では十分に古典を教えてくれなかったし、残念ながら学園紛争の時代で、まともな授業は受けられなかった。東大に移ってから、本格的に古典の研究をはじめました。両親は教育関係者ではなかったし、親戚の中でもわたしは異端児だったから、みんなが集まるところへ行くと、「テルちゃんは勉強が好きだねぇ」って嫌味を言われてね(笑)。

 

 

ちゃんと生きている

皇侃という人は、どんなことを考えて、『論語義疏』を書いたのかなと、ふと想います。20年以上、毎日のように読んでいるけれど、でも、どうしてもまだわからないところがある。中国の学者に聞いても、わからないと言っているから、読解力の問題ではなくて、どうも字が違っているようで、意味が通じない。だからときどき、「皇侃先生、ちょっとここ、教えてもらえませんか」と聞いてみたい。よく夢にも見ますよ。肖像画は残っていないから、わたしが勝手に描くイメージだけど、痩せぎすで髭面のおじいさん。

こんな話があってね。皇侃の弟子が道ばたで先生に会った。「口を開けろ」と言われたのでそのようにすると、パッと口の中に唾を吐かれた。それ以来、弟子の学問がメキメキ上達した、と。だから今度は口を開けて寝てみようかな。「先生、唾をお願いします」って。

 

本格的に古典の研究をはじめた院生時代。皇侃との出会いはまだ先のこと(1975年ころ、東京の自宅にて)

 

人は記憶の中に生きるもの。ときどき、亡くなった家内の友人たちが会いに来てくれます。彼らの話を聞いていると、家内はみんなの記憶にちゃんと生きているのだなと思います。その友人たちがいなくなってしまうと、いっしょに消えちゃうんだけど。だから、著書を残すというのは、ある意味ですごいことかもしれない。皇侃先生は、1500年経ってもわたしの中では生きているんだからね。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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