Sotto

Vol.99

ドメーヌ・ボー

中山安治さん

あの人に飲んでほしい。

誰でもいいわけじゃない

ここから見える景色、めちゃくちゃいいでしょう? いい景色には、悲しみや苦しみを癒す、すばらしい力がある。その自然の力を、ワインに込めたいのです。

ワイナリーをはじめたのは、社会や地域への恩返し。ぼくが死んでも、ワインはずっと飲んでもらえるから。67歳のときに「ワイナリーをつくる」と言うと、まわりから「おまえ、ダラか。いくつや思うとんがい(おまえは馬鹿か、自分が何歳だと思ってるんだ)」と、何百回も言われました。他人がおなじことをしたら、ぼくもそう思うんだろうけど(笑)。

酒屋を経営していた40歳のころ、ソムリエの勉強中に試飲したワインがすごく美味しくて、背中が「うぅっ」と痺れるような感覚を味わいました。それ以来、自分で選んだもの、納得したものしか売らないと決めた。こんなに美味しいワインはあの人に飲んでもらいたい、この日本酒はあの人が気に入るはず――と、いつも誰かの顔が浮かびます。

それはこのワイナリーでもおなじ。どういう気持ちでワインをつくるか、葡萄を育てるか。そうしてぼくらがつくったワインを、喜んで飲んでくれる人に届ける。誰でもいいわけじゃない。

 

霧の朝。ドメーヌ・ボー(美しいワイナリー)の名は四季の中に現れる

 

子へ、孫へ、受け継がれる宝

わが家では、お正月に家族がひとりずつ今年の抱負を話します。酒屋を継いだ次男が、「父さんと母さんが残してくれた商いの方法は、ぼくらにとって宝だから、ずっと守る」と言ってくれました。こんなに嬉しいことはないなあ。長男は、ぼくがよほど老け込んで見えたのか(笑)、去年の夏にもどってきてくれて、ワイナリーでいっしょに仕事をしています。三男は東京でIT企業を経営していて、いちばん羽振りがいい(笑)。

子どもたちが小さいころ、地球儀をぐるぐる回して、長男には「おまえはアメリカに行け」、次男には「フランスに行け」、三男には「オーストラリアに行け」。三男坊は「お父さん、ぼく、あんな遠いとこ行きたくない」って泣いてね。あのころはかわいかった(笑)。結局、長男はカナダの大学を出て、次男は1年半ほどフランスへ留学、三男は20か国以上を渡り歩きました。父親のふざけた地球儀話も、子どもたちのからだに入っていたんだなと思います。

孫ができると、小学校2年生から5年生まで毎年ふたりだけで旅しました。ハワイ、ケアンズ、グアム。ぼくが英語も適当で、勢いだけでやるもんだから、「じいちゃん、大丈夫?」って。そんなことをしていたから、孫も外国へ行くのが怖くなくなったみたい。いま中学3年生で、どうしてもやりたいことがあると言って、春から県外に進学することを自分で決めました。はやくから親離れしていて、しっかりしています。

 

父から子へ、孫へ。夢の持ちかたが受け継がれてゆく(左:1992年、ハウステンボス/右:2018年、グアム)

 

喜びも感謝も循環する

いつも子どもたちに言っていたのは、「ありがとう」と言葉にすること。お母さんにお弁当をつくってもらったら、「ごめん」でも「どうも」でもなく、「ありがとう」。そうすると、お母さんは一日気分がいい。お母さんが気分いいと、お母さんのまわりの人も気分がいい。喜びは循環します。だから、まずはお前からだ、と。3人ともきちんと守ってくれていました。

ドメーヌ・ボーのある南砺市は、土徳*のまちです。みんなが嬉しいとわたしも嬉しい。たとえば、ここに美味しそうなケーキがあったら、「おーい! みんな来いよ。美味しいものあるぞ!」と、周りの人を呼んでしまう。ひとり一人のわけまえは少なくなるけれど、こんど集まるときには、みんながいろんなものを持ち寄るから、美味しいものはどんと増える。みんなで喜びをわけあったら、次はもっとその喜びが大きくなる、という考えかたです。

 

ひとりの情熱が伝播し、仲間が集い、ワインができる(2022年、南砺市)

 

ぼくのまわりにも、「中山さんが喜ぶ顔を見ると、励みになる」と言ってくれる人がいます。ぼくがまわりの人を喜ばせたいと思って素直に人と付き合えば、相手も素直に付き合ってくれる。人を大事にしていると、自分を大事にしてくれる人が集まる。そうやって、喜びも感謝の気持ちも広がっていくのです。

 

※土徳(どとく)……城端(じょうはな)を含む南砺(なんと)地方一帯にある精神風土で、ありがたいと感謝しあう人々の心を表すことば。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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