Sotto

Vol.96

俳優

高木公佑さん

あなたはふつうだからいいのよ。

はじめての舞台とアドリブ

子どものころは祖父母と両親と弟妹の7人暮らし。父は公務員で母は大学の事務職員という、いわゆる、ふつうの家庭で育ちました。演劇の道に進むきっかけは、中学生のときです。学校の行事で『夢屋』という演劇をやることになって、ぼくはジャンケンに負けた。負けた人が主役、です。それまでまったく演劇に興味もなければ、自分が主役をやるなんて想像もしたことがなかったから、どうしてそんなことになったのか。不思議ですね。

それで、本番当日。ぼくと女の子の掛け合いのあいだに、舞台袖でみんなが早着替えをするはずだったのに、それが間に合わなくて、「なんでもいいからつないで!」って。なんとかつなごうと、ぼくたちがアドリブで話し始めたら、それが大ウケしたのです。そのときのセリフは覚えていないけれど、大笑いしていた会場の雰囲気はいまでも忘れません。

高校ではほんとうはバスケットボール部に入りたかったのですが、ちょうど『スラムダンク』が流行っていたころで、倍率が高くてあきらめました。それで、あのときの舞台のことが頭に残っていて、演劇部に入ることにしました。3年生のときには部長にもなって、変な自信がついたのか、大学は日大の芸術学部に進むことに決めました。

 

演劇部部長のころ。顧問の吉開譲二先生と(2000年、小郡高校)

 

ふつうの人生と自信喪失

いざ大学に入学すると、まわりはみんな映画や演劇が大好きで詳しい人ばかり。観てきた映画の本数も知識もとうてい追い付かなかった。所属した劇団の稽古で、自分の内面を表現するという題材があって、壮絶な過去を披露している仲間の姿を見たときに、ぼくの人生はなんて平凡なんだろう、と。なに不自由なく学校へ行かせてもらって、幸せな家族に囲まれて。ごくふつうの自分の人生と、周りの人生を比べてしまったんです。そうしたら手が震えてきてね。ぼくは彼らの前で演じることはできない、って。そのまま底なしに落ちていきました。

大学にも行けなくなり、引きこもるようになり、そんな自分が恥ずかしくて、友だちからの電話にも出ずに、挙句にギャンブルにはまって。現実逃避の日々でした。

そんなある日、親戚のひとりがぼくの家に様子を見にきて、それで、家族にバレてしまいました。すぐに実家に連れて行かれて、大学生にもなって母親に肩を抱かれながら、父にすべてを話したのです。すると、「引きこもっていてもいいから、もうちょっとやってみたらいいじゃないか」と。ハッとしました。ふだんは寡黙で、何を考えているのかわからない父が、怒らずに背中を押してくれた。ぼくが夢を追いかけることをすすめてくれた――。そのことが意外でもあり、勇気づけられました。

それから東京にもどって、大学へも行けるようになりました。そしたら授業で先生が、みんなの前でこれまでの生活を話してみなさいって言うんです。自分のカッコ悪い姿をあえて人前にさらすことで、自分の殻が破れたのかな。

 

福岡の実家にて、父と母と(2014年、撮影=武井彩乃)

 

生きていればそれでいい

大学を卒業してからは劇団に所属しながら自主映画を撮るような生活を続けて、俳優としてはすごく中途半端。でも、すごく親しい同年代の友を亡くすという経験をしたことで、命の大切さを強く感じるようになりました。たとえ俳優として大きく売れていなくても、たとえ人生で辛いことがあっても、生きてさえいればそれだけでいい。そう思うのです。

妻には、「あなたはふつうだからいいのよ」って言われています。ふつうの自分を認めてもらえたんだって、喜んでいます。まわりから見たら楽観的すぎるかもしれないけれど、でもやっぱり、生きていればそれでいい。

 

ふつうを楽しく、生きていく。職業、俳優。

 

俳優という仕事を続けていける人、テレビや映画で売れる人、それはほんのひと握りの人です。10年も前の話ですが、奥田徹監督の『スペアキーな冒険』で主演を務めました。上映後の舞台挨拶で、中学生から「どうやったら俳優になれますか?」って聞かれて、それがほんとうにうれしかった。ぼくのようにふつうの家に生まれた、平凡で、特別なことがない人間でも俳優になれるし、楽しく生きていける。そういう姿を子どもたちにも見せていけたらいいなと思って、まだまだがんばります。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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