Sotto

Vol.94

徳泉寺 住職

関口真爾さん

大事な響き

遊ぶように学べ

9歳のとき、京都の東本願寺で得度(出家の儀式)を受けました。「京都旅行に行ける」「ゲームウオッチを買ってあげる」という、父からの甘い誘いに乗ってしまった。得度を受ける前に、東本願寺近辺の床屋さんで頭を丸められましてね。もちろん、お坊さんになる覚悟なんてありませんでした。お坊さんの格好をして、すごく不機嫌そうな私の写真が残っています(笑)。

 

ちょいと不機嫌な表情の9歳の夏の得度式、東本願寺にて(1981年、京都)

 

大学卒業後は名古屋のお寺で役僧として修業して、2000年に仙台に帰ってきました。仙台では地元の勉強会に参加するようになり、そこで出会ったのが日野岳唯照(ひのおか・ゆいしょう)さんでした。日野岳さんからは、「遊ぶように学べ」という言葉をいただいて、たくさん背中を押してもらいました。

2011年の東日本大震災のときに、仙台の仏教青年会の有志とともに、ドラム缶風呂を持って気仙沼の大谷海岸へ行きました。当初、飲み水さえ届くかわからない状況で、お風呂なんかに水を使うなんてぜいたくだ、という声もありました。しかし、地域のみなさんが、子どもたちのためにお風呂持ってきてくれた人たちがいる。だったら、やってもらおうじゃないか、と受け入れてくださった。子どもたちはもちろん、地元のみなさんも喜んでくれました。大きなことはできなかったですが、そこで出会った人たちとは今でも交流が続いています。

 

BOP(仏青お風呂プロジェクト)の有志とともに被災地で仮設風呂を設けた(2011年、気仙沼)

 

 

顔をあわせれば

コロナ禍に入り、会いたい人に会えない状況に辛さを感じています。施設に入所した門徒さんがいらっしゃるのですが、なかなか面会ができない。そのとき、言葉だけでなく、その人に会うこと、顔の表情を見ることが大切なんだとあらためて感じました。たとえ言葉を交わさなくても、顔をあわせれば伝わることもあるはず。だんだんと会わなくなると、相手に対して心を砕き続けることは難しくなります。直接会うことで、人の心は動いていく。だから、そうした会える場所、想いを交わす場所として、お寺があるのではないかと考えるようになりました。

「寺子屋文庫」はそういう場所のひとつとしてつくりました。ひとりでもいられる場所、だれかと語りあうことができる場所。子どもたちが放課後に遊びに来てくれたり、習い事の帰りに親といっしょに立ち寄ってくれたり、常連の大学生がいたり……。

お寺はもっと気軽に入れる場所だったはずです。わたしが子どものころは、本堂で遊びまわったりしていましたから。ほかの家の庭に勝手に入ったら怒られるけれど、お寺は半分公園のようなところで、だれが入ってもいいし、遊んでいても大人に文句を言われないところ。子どもたちは、お寺でのびのびと遊ぶことができました。寺子屋文庫も、子どもたちが安心していられる場所になればいいのかな。

 

 

元気にしているか

門徒であり、総代でもあった渡辺良一さんは、わたしが子どものころからずっと、うちのお寺のことを想ってくれていました。そのころ、わたしはお墓参りに来た人たちにお香炉を貸す手伝いをしていました。門徒さん一人ひとりにお香炉を渡していると、渡辺さんからよく褒めてもらいました。お小遣いもいただいたりしてね(笑)。その積み重ねが、お寺でのわたしの居場所をつくってくれたのです。

お参りを済ませた門徒さんから、いろいろなお話を聞かせていただくのですが、渡辺さんの場合は、わたしの話を聞いてもらっていました。お寺のことだけでなく、お寺で生きているわたしたちのこと。わたしが住職になってからも、総代として、ずっとお寺に関わり、寄り添っていただきました。渡辺さんが亡くなったいまでも、「しんちゃん、元気か」と声をかけてくれているような気がします。

 

門徒・総代を勤めた渡辺良一さん(後列左端)、祖父(中央)、その右隣に関口さん(1979年、仙台)

 

亡くなった人を想うときは、やはり少し特別ですね。生きていたときには聞こえてこなかった声が、なんとなく聞こえてくるような気がして――。もう会うことも、声を聞くこともできないのに、それでも、わたしたちの心に大事な響きとして届いているような感じがします。その声に、私たちはどのように応えていけるのか。それが「人を想う」ということではないでしょうか。

 

 

(聞き手=岡部悟志、撮影=橘内裕人)

 

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