Sotto

Vol.91

文化人類学者・博士研究員

ハンナ・グールドさん

コーヒーを入れるとき、食事をするとき。

ひとりで決断した特別な日

父はわたしが大学4年生のときに亡くなりました。クリケットやフットボールが大好きで、高校の体育の教師をしていました。体が大きくて、髭を伸ばして、赤い服が好きだったから、クリスマスになると子どもからサンタだ! って(笑)。父とは言葉がなくても通じ合えるくらい、家族の中で一番気が合う相手だったから、本当に悲しかったです。

父がホスピスに入院しているときに、わたしはオックスフォード大学の入学試験を受けたんです。父の容態がもうよくないことはわかっていたので、試験の結果通知が来る前に、「合格したよ!」と、父に伝えました。だれにも相談せずに、ひとりで決めたことでした。父はすごくよろこんでくれました。そして、その日のうちに父は亡くなりました。

その2週間後に、こんどは本当に合格通知が届きました。そのときにはじめて母にすべてを打ち明けました。あのとき、父に伝えてほんとうによかった。わたしにとっていろんな思いが重なった、特別な日になりました。

 

あの日の父の表情がよみがえる。オクスフォード大学卒業の日に(2015年、イギリス)

 

自由な思想を育む

母は大学で生物学を、父は哲学を学んでいました。父は、「神がいるならなぜ悪いことが起こるのか」という問いに悩んでいて、その疑問を母に話したことが、ふたりの仲が近づくきっかけになったそうです。結婚式で、父はグリーンのベルベット生地のスーツを、母は自分で縫ったウェディングドレスを着た。いわゆるヒッピーですね。そんな両親のもとで、わたし自身はとても広い世界観の家庭で育ちました。

わたしが子どものころ、家族4人でよく海外旅行に出かけました。メルボルンから香港を経由してヨーロッパへ。ロンドンでシャーロック・ホームズの格好をして写真を撮ったのをよく覚えています。そうだ、わたしが高校3年生のときに、父からシャーロック・ホームズの全集を譲り受けました。いまでも取ってあって、大切な宝物になっています。それから父はとくにパリが大好きで、わたしが学生時代にひとりでパリに行くと言ったら、レストランの場所から現地で会う人まで、細かく計画を立ててわたしに送ってくるほど(笑)。旅は学校では教えてくれないことが学べますね。

両親はわたしが12歳のときに、ハンナは自由にしていいって決めたみたいです。それからずっと、信頼してもらったうえで、好きなことをして自由に生きています。

 

想い続けること

父が亡くなったとき、葬儀社から棺やお墓の話をされて、次々に父とはなんの関係のない「モノ」についての話が進んでいきました。父との思い出と葬儀の現実があまりにもかけ離れていて、すごくギャップを感じました。

オーストラリアにもお墓はありますが、日本のようにお墓参りの習慣はありません。世界の葬送文化からみて、葬送は〈memorial(記念)の文化〉と〈ceremony(供養)の文化〉のふたつに分けられると考えています。オーストラリア、イギリス、アメリカの葬送は “You only die when someone forget your name.”(「人は忘れらたときに死ぬ」)ということわざがあるように、死者を想い続けることや、個人的なつながりを大事にする〈記念の文化〉に基づいています。一方、日本の葬送は死者を悼むだけではなく、お経を唱え、仏花を供えるなどの儀式を伴う〈供養の文化〉です。しかも、それを家族以外のお坊さんなどが主体となって行うというのが、いっそう興味深い文化だと思います。

 

いつもいっしょに生きている(11月18日、父の命日に)

 

自分のことを一番自慢に思ってくれていた人を亡くすのはとっても大きなことですが、毎日の暮らしのなかで、コーヒーを入れるとき、食事をするとき、父のことをふと思い出したりします。そうやって父は私の中で生き続けています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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