Sotto

Vol.90

Deportare Partners代表

為末大さん

接着剤

人間を演じる

人の気持ちを想像してしまうんです、どうしても。ちょっとでも気になった人のことを想像せずにはいられない。小さいころからの癖ですね。でも、競技者にとって、この癖は大きなデメリットになりかねない。相手を蹴落としてでも、という世界で、周りに気をつかってはいられません。自分が相手の選手を引退に追い込むこともあります。所属している会社から、「この試合で負けたらおしまい」と告げられている選手が隣のレーンを走る――。競技者として、そこで気持ちが散ったり、ためらってはいけません。結果だけがモノを言う。そういう世界の中で、本来の自分を極端にふさぎ込めていました。競技者としての自分をつくるというか、人の気持ちを汲み取ることができない人間を演じていたのです。

ともかく競技の世界ではそういう自分を演じながら、でも同時に、「勝利がすべて」というスポーツ界の価値観に抵抗を感じていたのも事実です。最後まで勝ち続けることのできる選手もいますが、多くの選手はそうではありません。わたし自身、どうしても勝つことができなくなってきて、どうもこの価値観では、自分はこれ以上がんばれない気がする、と。それからですね、人間を理解したいという気持ちが強くなりました。

 

第19回全日本中学校陸上選手権大会にて(写真中央)。男子100m7位入賞(1992年、新潟)

 

根源的なこと

競技生活の最後は、サンディエゴのチュラビスタオリンピックセンターを練習拠点にしていました。当時、コーチもチームメイトもいなくて、オリンピックセンターを使っている選手も3人だけ。わたしが利用する時間帯はほかにだれもいませんでした。だれもいないトラックを走っては戻り、走っては戻り。休憩を含めて2時間くらい、ずっとひとりでトレーニングをしていました。それを3年間。考えごとをするのにはすごくいい環境でした(笑)。

ちょうどその頃、競技会で勝てなくなり、オリンピックの代表選考にも落選しています。日本に帰国するたび、自分の存在が社会から忘れ去られていくのを肌で感じました。街を歩いていても声をかけられなくなるんですよ。自分なりの成功体験があった分、よけいに喪失感も大きくて。人生をかけていたものがなくなる、アイデンティティがなくなっていくような感じです。それが辛いというよりも、やっぱり勝負の世界は勝つことがすべてなんだと、わざと妄信していたというか、気持ちがちぐはぐしていたのでしょうね。

そんな気持ちでサンディエゴに戻ると、ひとりの時間がたっぷりあるから、根源的なことを考えるようになりました。自分は何がやりたくて、何のために走っているのか――。競争を勝ち残って築いてきた世界が、がんばってもうまくいかない世界になる。敗北を経験したことが、自分の中の価値観を変化させたように思います。人のことを想像してしまう自分の性格に蓋をしないで、かえって、人間をどこまで理解することができるのか。しだいに考え方を切り替えられるようになっていきました。

 

現役引退前年の野生時代。本の中にこれからの生き方を探し求めた(2011年、東京)

 

感じる役割

自分の性格、この癖を最大限に受け入れるとしたら、徹底的にその感覚を広げていくことだと思っています。社会においては、「感じる役割」です。感じるとは広げていくこと。自分の身体であらゆるものを感じ取り、どんどん溜めて、その意味を考えて、表現する。その過程がなければ人間の理解は難しいでしょう。いまは競技を離れて、さまざまな角度から考えることができています。ただ、具体的なアウトプットが何なのかと聞かれると……(笑)。いまのわたしは言葉の世界にいるので、そこからアプローチしたいと思っています。「感じる役割」は自分に合っていると思いますし、生涯にわたって感じることを続けていきたいです。

 

小学校の校庭で初めてハードルを飛んだ(12歳ころ、広島)

 

「人を想う」ことは、人間を人間たらしめる、いちばんの能力だと思います。だれかを想うことで、わたしたちは、お互いがひとりじゃないと思える。思いやりの〈接着剤〉というのでしょうか。お互いを想う日々があるからこそ、こんなにも複雑な社会が、それなりにうまく回っているんじゃないかな。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

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