Sotto

Vol.87

琉球古典音楽演奏家

和田信一さん

人生のバトン

櫓の上から見た光景

京都生まれの京都育ち。父親が社会人野球をやっていた影響で、ぼくも2、3歳から野球をはじめて、大学まで続けました。父の子だから自分も野球に向いていると思っていたし、好きだったから、本気の野球一筋。でも怪我をしたこともあって、野球人生は大学で終了しました。

大学卒業後は企業に就職しましたが、その後、JIVA主催の国内ボランティアに応募して、たまたま欠員の出た沖縄本島の老人ホームに1年間派遣されることになりました。沖縄といえば*沖縄水産しか知らなかったから、あわてて*『ちゅらさん』を観て勉強して、利用者さんとの会話のネタをかき集めました(笑)。

*沖縄水産=沖縄県立沖縄水産高等学校。1990年、全国高校野球選手権大会で沖縄県勢初の決勝進出(準優勝)。栽弘義・元監督(故人)率いる「沖水」は一時代を築き、全国の高校野球ファンに愛された。

*『ちゅらさん』=2001年度上半期に放送されたNHK『連続テレビ小説』シリーズのテレビドラマ。同シリーズで初めて沖縄県(小浜島)が主要な舞台となった。

 

老人ホームでは、毎年9月の「大名まつり」のときに、派遣ボランティアが三線(さんしん)を披露するのが恒例になっていました。4月に働きはじめてから、先輩スタッフが弾くのを見て、自分も弾いてみたくて練習していたけれど、人前で、ひとりで弾くなんて、人生の中でいちどもやったことがない。自分が楽器を弾くなんて考えたこともなかったですから、ほんとうに。めちゃくちゃ緊張しました。でも、ぼくが弾いているときに、おばあたちが何人か立ち上がって踊ってくれたのです。これですごくリラックスできた。あのとき櫓の上から見た光景は、いまでもよく覚えています。

 

お祭りの櫓から見た光景は忘れない(写真は2007年、首里大名町)

 

導かれるように

ここで出会った人、だれもがキーパーソンです。老人ホームの先輩スタッフからは、三線の弾きかたと沖縄の楽しさを教えてもらいました。兄貴のような存在です。先輩の実家は三線店で、そこに弟子入りして三線をつくる職人として働いたこともあります。

1年のボランティアが終わったあと、アウトドアのツアーガイドの仕事に誘ってくれたのは、内地からやってきた同世代のひと。こっちでのつながりをどんどん広げてくれたし、彼を見ていると、自分もがんばろうって思います。民謡居酒屋のアルバイトでは、めちゃくちゃ三線がうまいひとに出会いました。そのころのぼくは、早弾(はやび)きもできるようになって、自分では三線をマスターしたと得意気だったのに、いっきに叩きのめされた(笑)。彼女のおかげで、あらためて三線のおもしろさを知りました。

この南城市に住もうと決めたのも、老人ホームのスタッフに誘われたのがきっかけでした。地域対抗の競技会で野球の試合があるから、「住民票を移して試合に出ろ」って。大学以来の、久しぶりの野球でしたが、思いのほか大活躍していまいました(笑)。その後は敬老会で三線を弾いたり、青年会のエイサーに参加したり。みんなに顔と名前をおぼえてもらって、知らぬ間にスーッと地域に溶け込むことができました。

これまで京都に帰ろうとしたことが何度かあったのですが、そのたびに、だれかに出会って、バトンを渡されるのです。導かれているな、と思いますね。

 

琉球古典音楽演奏家として、伝統文化のバトンをつなぐ

 

お釈迦さまの手のひら

琉球古典音楽演奏家としてのぼくにとってのキーパーソンは、まちがいなく大湾清之先生です。30歳のときに入学した沖縄県立芸術大学で大湾先生に出会いました。先生は、1930年代に書かれた古典音楽の演奏理論を掘り起こして解読したのですが、ぼくが博士号をもらった研究内容は、先生の解読した演奏理論を体系化したことと、コンピューターソフトを使って歌の旋律を可視化することでした。大学入学から大学院修了まで12年。先生に出会わなければ、こんなにどっぷり古典音楽をやらなかったと思います。

先生は、どんな質問にもすべてに答えてくれます。ぼくが独自に研究していて、これは大発見だ! というような瞬間があるのですが、興奮して先生のところへいくと、「そうか、ここまでよく来たねえ」。そしてひょいと書棚から資料を取ってきて、たしかにこれはこうだけど、このときはこうだから……と。知れば知るほど、先生の知識量は膨大で、もっと先を行っている。まるでお釈迦さまの手のひらのようで、底が知れません(笑)。先生がお元気なうちに、先生の考えていることや演奏技術をすこしでも吸収したいです。

 

博士号取得の記念に、妻・静香さんと大湾先生をはさんで(2021年、那覇)

 

* * *

老人ホームのお祭りで、おばあたちが踊ってくれたあの光景――。やっぱりあれが、いまのぼくの出発点。自分が弾いたり歌ったりすることで、だれかがよろこんだり元気になったりする。それがなによりうれしいし、あのときの感覚をずっと求めているのかもしれません。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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