Sotto

Vol.86

かんざわ英進塾

官澤治郎さん

ぼくは常に伴走者

もっと自由に、自分の思いを信じて

外務省を離れてから1年、この塾をはじめて10か月経ちました。毎日楽しいし、とても充実しています。外務省時代は、アフガニスタン、イラク、イスラエル、パレスチナ、エジプト、アメリカ……、いろんな価値観や世界観を持つ人たちと接してきました。世界では生きるか死ぬか、という非常に厳しい状況で暮らしている人もいます。そういう人たちと向き合う中で1年、2年と過ごしていると常識が変わります。自分が大事だと思っていたことが、別の世界から見ればたいしたことがなかったり、これが正しいと思っていたことが、日本の外に出たらそんなに正しいことでもなかったり。自分を取り巻く状況を客観的に見ることで、自分の生きかたそのものを柔軟に見つめる姿勢ができたのかもしれません。

モヤモヤ悩むくらいなら、えいやっと行動してしまったほうがいい。失敗するかもしれないけれど、悔いは残らない。人生は一度きり。固定観念に縛られずに、もっと自由に、自分の思いを信じて生きてもいいんじゃないか――。自分の人生を、どう主体的に生きるか。これはとても大切なことですね。

 

外交官として赴任したアフガニスタン、地元有力者との打ち合わせ(2009年)

 

憧れと価値とほんとうの気持ち

沖縄で塾を開くことに決めたのは、教育愛と沖縄愛と自己実現、この三つが重なったからです。教育ということでは、高校生のころから教師という職業に憧れがありましたし、外務省に務めていると、ときどき大学や高校、中学校に特別授業の講師として出向くことがあるのですが、これが楽しくて。ああ、自分は人に教えることが好きなんだ、と。それに、途上国への支援を通じて感じたのは、教育は万国共通で重要だということ。どんな文化や宗教、歴史的背景をもつ国であっても、教育の重要性を否定する人はだれもいない。若い世代を育てることは、その国の将来を育むこと。この分野はとても価値があると思いました。

沖縄と正面から向き合うようになったのは、4年前に外務省沖縄事務所の副所長として配属されてからです。沖縄に住んでみて、沖縄の人たちが考えていること、悩みや苦しみに寄り添い、想いを寄せるような姿勢を持ち続けたいとずっと思っていました。でも、なにより、ここで生活しているうちに沖縄の魅力、沖縄の人たちの魅力に引き込まれて、すっかり虜になってしまった、というのがほんとうの気持ちです。

それで、独立して塾を開くとしたら沖縄だ、沖縄の子どもたちに自分の経験や思いを伝えたいと思ったのです。沖縄の子どもたちはポテンシャルが高いですよ。多様な価値観を持った「チャンプルー文化」の中で揉まれて生きていて、とても感受性が豊かだし、いろんなことを考えている。そういう子どもたちが学力を伸ばして、将来自分がやりたい仕事、なりたい職業に近づくための手段のひとつとして、大学に進学することは、彼らの自己肯定感を高めることにもなるし、自信にもなる。そして、そういう子どもたちの変化を間近で見られるのが、この仕事のおもしろさだと実感しています。

 

出張授業にて。若い世代に伝えておきたいことを、自分のことばで(2022年、沖縄)

 

自分のまわりの人を幸せにする

ぼくが子どものころは、親戚や近所にきちんと叱ってくれる大人がいました。お父さんお母さん以外のそういう存在を、いまの社会は必要としていると思います。子どもたちにはできるだけいろんな大人と関わって、自分の世界を広げてほしい。ぼくも、塾に通ってくる子どもたちに、今後の生きかたの指針になるようなこと、そこまでではなくても、なにか心に残るようなことを伝えていきたい。そしてそのときに、大人の考えを押し付けるのではなく、子どもたちには自分自身で考える力をつけてほしいのです。受験をマラソンに例えるなら、ぼくは常に伴走者で、走るのは子どもたち。スタートからゴールまでどうやって走り切るか――。そのアドバイスやヒントを隣で与えるのが、ぼくの役目です。

 

マラソンは人生と同じ。急ぎすぎず、遅れすぎず(CAMP KINSER HALF MARATHON)

 

自分の家族や、この小さな塾を頼ってくれる生徒や保護者のよろこぶ顔が見たい。そのことに全精力を集中する。何が正解かわからず、先行きが不透明な難しい時代だからこそ、大それたことを考えずに、まずは自分のまわりの人を幸せにする。ぼくにとっても生きている充実感を得られるし、いまのいちばんの楽しみかな。

 

(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)

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