Sotto

Vol.77

京扇子 大西常商店 四代目若女将

大西里枝さん

バトンをつなぐ

ブランドの服を買いなさい

大西常商店は曾祖父が大正2年に創業しました。当時は元結(髪結いの和紙)の製造所として商売をしていましたが、時代の流れとともに日本髪の文化がなくなり、扇子に商売替えをしたそうです。曾祖父には会ったことがありませんが、祖父のことはよくおぼえています。祖父はとにかく歌舞伎が大好きで、小学生のわたしもよく歌舞伎を観に連れていかれました。小学生には2時間くらいかかる歌舞伎はなかなかきびしいですよね(笑)。当時は歌舞伎のおもしろさがまったくわからず嫌々でしたが、大人になってからはけっこうおもしろくって。伝統的な所作や色彩感覚を養えるのも仕事のアイデアに役に立っているような気がします。

家では寡黙で厳しい人でしたが、ひとり孫のわたしはとても大切に育ててもらいました。ホテルのレストランでテーブルマナーを教えてくれたり、あるときは、わたしがお小遣いで適当な洋服を買って帰ると、ちゃんとしたブランドの服を買いなさいって怒られたりしました(笑)。いまになって思い返すと、〈本物〉に触れることの大切さを教えてくれていたのかもしれませんね。

 

七五三祝いに、祖父母と(1992年、店舗前にて)

 

町家を残してくれてありがとう

小さいころから街づくりや町家の保存に興味があって、大学では公共政策を学びました。大学卒業後は大手企業に就職して、京都を離れました。それから結婚や出産を機に、26歳のときに家業を継ぐことを決めました。このまちで生まれ育った私にとっては、若いころは息苦しさを感じることが多くて、はやく京都を出たいと思っていましたが、いま京都で子育てができているのはとてもうれしいですね。ご近所のひとたちがみんなで子どもを見守ってくれている、そんな実感がある場所です。

このあたりは、以前はもっとにぎわっていて、町屋もたくさん並んでいた。それが時間とともに建物は老朽化していくし、地価は上昇して売ってしまうところもあるし、しだいに減っていく姿を間近で見てきました。大西常商店の建物は築150年です。建物の修理や保存には宮大工さんの手が必要で、維持するだけでも大きな費用がかかりますが、祖父も父も町家をずっと残していきたいという意思があったから、苦しいながらもなんとか守り通してきました。代々の主が町家を残してくれたことに感謝するとともに、町屋を知っているわたしたちが、これからもしっかり守っていかなくてはいけないと思っています。

 

先代たちの思いは古い帳面の文字に残る

 

恥じない商売を誓います

祖父はわたしが10代のころに亡くなっているので、商売のことや難しい話を直接聞いたことはありませんが、四代目若女将として家業に携わるようになってから、よく祖父のことを思い出します。祖父の当時はバブル崩壊とともに、伝統産業も大きく打撃を受けて、衰退していく時期でした。和装の小物店が次々に店を閉めていくなか、お店を守った祖父を尊敬しています。物置を片付けたら、昔の契約書や約束の手紙などがたくさん出てきました。曾祖父や祖父たちがどんな思いで、どうやって乗り越えてきたのか……。しんどいとき、迷ったときは先代に思いを馳せて、彼らに恥じない商売をしようと、自分のなかで誓います。実はいつも祖父の写真をお守り替わりに持ち歩いているんですよ。

 

築150年をすぎてなお生きている町屋のたたずまい

 

わたしもこの町家を守っていきたい。みんなが大切にしてつないできたバトンを、わたしも次の世代へつなぐ。順位は上げられたらいいけれど、いまのままでもいいんです。そうやって大切なものを守っていきたいと思っています。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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