Vol.63
ぎやまん郷
伊藤ナナさん
ご先祖さまはわたしたちの応援団
不思議なご縁に導かれて
あるとき、夢の中に、小柄で上品なおばあさんが出てきて「お墓参りに来てほしい」って言うのです。きっと親族の誰かだろうなと思って、そこまで気にしなかった。それから、親戚で集まる機会があって、夢に出てきたのはわたしの大叔母にあたる おげん さんだということがわかりました。新美げん、お寺のお庫裏(くり)さんだったそうです。いまから70年くらい前に亡くなっている人でしたから、もちろんわたしは会ったことがないし、お寺の場所もわからなかったから、お墓参りには行きませんでした。そしたらまた、おげんさんが夢に出てきたんです。さみしいから来てほしい、って。
しばらくして、講師の仕事に呼ばれて、ある土地を訪れたときに、新美さんのお寺がありますよ、って生徒さんが教えてくれた。もしかして……、と見にいくと、おげんさんのお墓がありました。母にその話をしたら、連れていってほしいというので、もう一度お墓を訪れると、こんどは母がおげんさんの言葉を思い出した。わたしには子どもがいないから、あなたがお墓にお参りにきてね、って。母はすっかり忘れていたんです(笑)。
もうひとつ。おげんさんはむかし食べるのに困ったときに、中島さんという人に助けられたことがあったそうです。そしたら、わたしの生徒さんに中島さんのひ孫がいたの。不思議なご縁だなと思いました。それから供養について考えるようになって、仏具をつくるようになりました。
第1回のグラスクラフトトリエンナーレにて(2001年)
ヤギを連れてきたおばあちゃん
うちは代々、農業をしながら神職をしてきた家でね。あまり裕福ではなかったんだけど、人助けをたくさんしてきました。わたしが幼いころ、おばあちゃんが近所の子たちを家に呼んで、みんなでいっしょに食卓を囲んでいました。困っている人がいたら助け合う。それがあたりまえでした。大人になってから外を歩いていると、お姉ちゃん!って声をかけられた。あの当時にうちでいっしょに過ごした男の子だったみたい。ほかの場所でもそんなことがあったりして、やっぱりうれしいですよね。
おばあちゃんにはいつもお小遣いをもらっていました。でも、うちにはお金がないって言うものだから、あるとき、半分でいいよって、わたしが言ったんです。そしたら、近所の子たちはそのままで、わたしだけ半分になってたの(笑)。うちは農家だったから、おやつは自分で庭の木からもぎとった柿とかを食べていたのだけど、あるとき東京から来た友だちの家に遊びに行ったら、牛乳がでてきたんです。真っ白で、甘くて。はじめて飲んでびっくりしてしまった。それをおばあちゃんに話したら、どこからかヤギを連れてきて、庭で乳を絞ってくれたんです! ヤギの生乳なんてとてもとても臭くて飲めないでしょう(笑)。でも、おばあちゃんの愛情はたっぷりもらいました。おかげで心身ともに健康に育ったのかな。
いつもにぎやかな家で、祖母と叔母と(1979年ころ、愛知)
対価を求めるな
おばあちゃんから言われた、「対価を求めるな」という言葉を今でも大事にしています。生きる上でお金はどうしても必要だけど、そこを求めて生きるのは美しくない。「人に愛を渡せるか」って聞かれたこともありました。好き嫌いではなくて、いろんな人に愛を渡すのはとても難しいこと。でも、やらないよりはやったほうがいいと思うから、まわりの人を大切にしていきたいです。
ご先祖様からのメッセージで不思議な体験をすることはたくさんあります。お経をあげて、お墓に入れたからといって満足するのではなく、お墓の中にいる人たちに喜んでもらえるようなことを、いつもしてあげられたらいいな。供養というものが、もっと楽しくなったらと思って、仏具をつくっています。ご先祖さまはわたしたちが困ったときには手を差し伸べてくれるし、わたしたちをいつも見守ってくれる応援団なのですよ。
(聞き手・撮影=平野有希)