Sotto

Vol.62

手でつくるひと

加藤亜実さん

そういうことに時間を使いなさい。

手づくりを仕事に

北海道の本別町で生まれ育って、大学は札幌へ。就職活動をしていた大学3年生のときに、東京で働きたいと思って、大田区の蒲田にマンションを借りました。何社も面接にいきましたが、ちょうど3月に東日本大震災が起きて、就活自体が難しい状況になってしまったのです。どうしようかと思っていたときに、姉が通っていた料理教室の社員募集をたまたま見つけました。

姉とは9歳離れていて、いっしょに暮らした記憶はあまりなかったけれど、姉が実家に帰ってきたときに、料理教室で習ったソーセージパンを家でつくってくれた。そのときにはじめて「手づくりのパン」を食べて、すごく美味しくて感動したんです。そんなことを思い返しながら、最初に志望していた業界とは違ったけれど、料理をつくるのは好きだし、面接を受けてみたら、そのままトントンと就職が決まって(笑)。それから10年間、料理教室の先生として働きました。

 

久保のばあちゃん(写真右)と加藤のばあちゃん(同左)と(2005年、本別町)

 

栗の甘露煮が入った茶碗蒸し

母方の久保のばあちゃんは、北海道の山育ちで、おしゃべりが大好きな、明るい人でした。子どものころのわたしは煮物も漬物もあまり好きじゃなくて、ばあちゃんの家で出される料理はほとんど断っていました。でも、唯一と言っていいくらい、茶碗蒸しだけは美味しくて大好きでした。わたしがめずらしくおかわりするものだから、ばあちゃんもそれが嬉しかったのか、いつもたくさんつくってくれました。ばあちゃんの茶碗蒸しは、すが立っているから、冷めると固くなってしまうし、けっしてじょうずな茶碗蒸しではないけれど、できたてはとにかく美味しかった。

料理教室で働くようになって、授業で茶碗蒸しをつくることがありました。そのときにばあちゃんの茶碗蒸しが、一般的な茶碗蒸しと違っていることを知りました。ばあちゃんの茶碗蒸しは、鶏出汁に、ナルトと、栗の甘露煮が入っていて、とても甘い。茶碗蒸しにも地域性があるんですね。いまでも仕事で疲れたときには、ばあちゃんの茶碗蒸しが食べたくなります。

 

加藤のばあちゃんに宛てた手紙。手書きの字からたくさんの思い出がよみがえる。

 

知識や技術は盗まれない

父方の加藤のばあちゃんはスマートで物知り。手づくりが好きで、小さな紙細工が家にたくさんありました。加藤のばあちゃんは、本別町からは少し離れたところで暮らしていて、わたしが小学生のときには手紙のやりとりをしていました。ばあちゃんが亡くなったときに部屋の整理をしていたら、これまでやりとりしていた手紙がいくつか出てきました。昔の手紙には、「わたしもいつか死ぬから、ばあちゃんも元気でね」って書いてありました(笑)。最期のほうは認知症になっていたけれど、あるとき、「買ったものはいつか盗まれたり、失くしたりするけど、自分で身につけた知識や技術は盗まれない。そういうことに時間を使いなさい」と、わたしに向かって言ってくれた。すごく印象的で、いまはその言葉の意味がよくわかる気がします。

大学生のときに、8歳上の兄といっしょに暮らしていたことがありました。兄と暮らすにあたって、なにかしてあげたいなって。そうだ、ご飯をつくってあげよう。なにをつくろうかと図書館で料理本を調べて、兄の好きそうなものを書き写しては、自分のレシピノートを書きためていました。だれかになにかをつくることは、そのころから好きだったみたいです。手づくりすることで、わたし自身も楽しいし、まわりの人が笑顔になったらもっとうれしいです。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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