Sotto

Vol.60

遠州屋酒店

斎藤英雄さん

自分が正しいと思うことに正直であれ

どこまでも強くなれるぞ

中学1年生から剣道を始めて、中西派一刀流の高野弘正先生と出会いました。昔は家の前の砂利道で、裸足で一人稽古をしたものです。人間の足も動物といっしょ。10日も続ければ足の裏で地面を掴まえられるようになりますよ。石ころやクギなんかも上手によけてね。高校を卒業して酒屋の仕事を手伝いはじめてからは、毎日朝から晩まで配達やら準備やらで、道場に通うことが難しくなってしまった。40歳を過ぎたころに、ようやくまた道場へ通うようになったんです。ブランクはありましたけど、素振りはずっと続けていましたし、弘正先生に教わった基礎のおかげで、すぐに感覚を取り戻した。ある人が調べてくれたのですが、ぼくは弘正先生が防具を着けて稽古した最後の弟子だそうです。「一人稽古に勝る稽古はないから真面目にきちんとやりなさい。どこまでも強くなれるぞ」と言ってくれた弘正先生の教えを守って、いまでも休まず一人稽古しています。

 

高校1年生のころ(1957年、鶴見の自宅前にて)

 

見えないものに打ち克つ

剣道は相手の気持ちとの勝負です。でも、気持ちは見えない。人間というのは見えないものは怖いのです。見えないものに打ち克つにはどうしたらいいか。ぼくは、周りに誰もいないような山の中の神社に行ってじっと座り込むことをよくしていました。1日目は背後から命を奪うように魑魅魍魎が押し寄せてくるような感覚です。それを耐えきって、4日も経つと、突然すべてきれいにいなくなった。とても清々しい気持ちになるんです。

秦野市の蓑毛にある寶蓮寺で十王像(閻魔様)を見る機会がありました。そのときに閻魔様が10人もいることを知ったんです。いままでぼくはいくら閻魔様でもどこかに見落としがあるだろうと思っていましたが、10人もいるんじゃあ誤魔化しもきかないし見落としもないぞと思った。それでその日から、自分が正しいと思うことに正直であれ、と思って生きるようになりました。とっても身が軽くなりました。

4年くらい前、お寺の前で足を滑らせてアキレス腱を切ってしまった。自分が正しいと思っていても、間違っていることはまだまだあるぞ、と閻魔様に言われているようでね。身が引き締まる思いをしました。まあ、手術をするときに、いっしょにからだの別の悪いところが見つかったから、それはそれでよかったんだけども(笑)。

 

剣道で培った心の強さは、本物を見抜く眼力につながっている

 

見えないものに対して恥ずかしくない生き方

今年の元日に寶蓮寺に行ったときにね、また閻魔様を間近で見せてもらえました。明るいところでよく見ると、閻魔様は人の罪を憎み、泣きながら裁いているようで、なんとも慈悲深いお顔をされていた。そうか、正しいと思うものに対して正面から向かい合って、自分の気持ちに正直に生きていたら、幸せなことはたくさんあるんだ。そう思えました。

うちが酒屋として生き残っていられるのは、本物しか置いていないからです。お酒は偽物がたくさん出回っていて、つくる人も、売る人も、許可する人も、みんなそれを黙認している。でもそれっておかしいでしょう。どこかでみんな気がつかなければいけない。本物を大切にしなくてはいけない。本物を大切にしない国は、いつかなくなりますよ。

自分の信じるものに正直でありたいし、見えないものに対しても恥ずかしくない生き方をしたいと思っています。いまの目標は、剣道の八段審査を受検すること。いつか自分があの世に往って弘正先生に会ったら、「なんだ、おまえはまだ八段になっていないのか!」って、言われてしまいそうだからね。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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