Sotto

Vol.58

早稲田大学客員教授

小野隆彦さん

自然と神と人間が一体となる世界

君はセンスがないから

高校生のころにカメラをはじめて、ずっとプロのカメラマンを目指していました。大学に入ってからは、有名なカメラマンの鞄持ちをしていました。でも、あるとき、その人から、君はセンスがないから辞めたほうがいい、と。鋭い指摘ですよ。一流のカメラマンになるためには努力だけではなく、天才的なひらめきが必要なんですよね。ぼくは目の前にある被写体を撮ることはできても、すべてを見通すようなひらめきの力がなかった。

大学卒業後は会社員として働くことにして、カメラは休んでいました。それが40歳になったころに、学生時代の友だちからバイオリニストの千住真理子さんを紹介してもらう機会があって、彼女の写真を撮らせてもらえることになりました。やっぱり写真が好きだったんです。それからはずっと写真を撮り続けています。仕事のほうもご縁があって、会社員として働きながら、いくつかの大学の研究職や経営参画を経て、いまは早稲田大学で音響工学の研究をしています。

 

歓迎と祝福の踊り、プスパメカール(2010年、ティルタサリ)

 

ケイコさんとの出会い

あるとき、オーディオ雑誌の付録CDを何気なく聴いていたら、そのCDの音がものすごくよかった。録音している現場のシズル感がそのまま伝わってくる。それがバリのガムラン音楽でした。この奏者たちは一体誰なのか。それを知りたくて、知人の旅行作家に相談したところ、バリにあるティルタ・サリという楽団だとわかりました。ティルタ・サリはプリアタン村の王族であるマンデラ家が持っている楽団で、楽団のマネージメントしているのがマンデラ家に嫁いだ日本人女性のマンデラケイコさんでした。

メールで連絡を取って、さっそく現地へ行ったのですが、ティルタ・サリの公演は週に1回。バリに着いた日の前日が公演の日でした。バリでの滞在日数が限られていたので、どうしたものかと相談したら、ケイコさんがぼくたちのためだけに、チャーター公演で楽団員を集めてくれたんです。目の前で見るガムランはほんとうにすばらしかった。それからバリが大好きになって、何度も通いました。ちょうどぼくの誕生日に当たったときには、マンデラ家と親しいチョコルダ家の王宮に招かれて、盛大にお祝いしてもらったこともありました。それからバリを訪れるたびに、楽団や踊り子たち、島に残る伝統行事の写真を撮らせてもらえるようになったのも、ケイコさんと出会って、ケイコさんが引き合わせてくれたおかげです。

 

バリで使われているサコ暦とワク暦のカレンダー。暦は文化の基礎となる。

 

奏で、踊り、想いあう

インドネシア全体ではイスラム教徒の割合が多いですが、バリはほとんどが生まれながらにヒンズー教徒です。バリの人たちと交流することで、彼らの考え方や生活がいかにヒンズー教とつながっているかを感じました。日本に八百万の神さまがいるように、バリにもたくさんの神さまがいるので、彼らは毎日あちこちにお花をお供えします。ガムランも本来は神さまに捧げる踊りですから、観光客向けのものとは違って、まわりに誰もいなくても踊って奏でる。まさに自然と神と人間が一体となる世界です。

バリの人たちは、村全体で子どもを育てるような深い愛情がある。家族や信じるものが同じ人たちと共に暮らしているからでしょうか。その姿がとても美しい。生まれたときから身近にガムランの音があって、子どもたちはみんな、自分も大きくなったらガムランをやりたいと願い、大人は子どもたちに音楽や踊りを教え、次世代を育て、そして、神さまに喜んでもらうためにガムランを捧げる。バリには人と人、人と神とが想いあう暮らしがいまでも色濃く残っています。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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