Vol.52

立教英国学院 後援会会長

鈴木武次さん

ものごとを追求し続けて、本物に出会う

祈りと奉仕の学生時代

わたしは生まれも育ちも大宮で、いまお話をしている、この大宮聖愛教会で洗礼を受けました。学校生活と教会活動はごく自然に両立していましたから、信仰心というものを特別に意識しないでも、自然に身についたと感じています。高校では器械体操部に入りました。運動をすれば少しでも背が高くなるかなと思っていたのですが、筋肉がつくからかえって伸びなかった(笑)。それでもインターハイの予選に出たりして、楽しかったですね。

大学に進学すると高校の器械体操部の先輩の誘いで「B・S・A(ブラザーフッド・セント・アンドリュー/男子青年の有志団体)」に参加しました。B・S・Aは、1883年にアメリカ・シカゴで結成された「祈りと奉仕」を実践する活動で、世界中に広がりました。大学の4年間はB・S・Aの精神をいかに実現していくかというその一点で、夏休みになるとみんなで日本各地をまわって孤児院の修復や剥(は)がれたペンキの塗りなおし、夏期学校での勉強指導、教会の土地拡張のための山堀りや掃除などをしました。

そんなことでB・S・Aの活動に明け暮れていましたから、大学を出てからどうするか、なんて考えていなくてね。そんなときにまた先輩から、「きみはB・S・Aの活動をよくがんばっていたから、立教高校の寄宿寮の監督にならないか、と声をかけられました。当時の立教高校の寄宿寮は全国から集まった生徒が「東・西・和」の3つの寮に振り分けられていました。それぞれ100名ずつの大所帯です。先輩が東寮、わたしが和寮。わたしとしてはもう少し勉強を続けたかったので、昼間は大学院の授業を受けて、夜は寮生の面倒をみるという生活がはじまりました。

 

立教高等学校での教員生活1年目(1965年、教員室にて)

 

追求すれば本物に出会える

大学院での専門は日本史でした。たくさんのことを学びましたが、海老沢有道(えびさわ・ありみち)先生の「資料だけをそのまま信用するのではなく、現地に行って本物を見てきなさい」という教えに大きく影響を受けました。机の上でわかった気にならず、体を動かして、苦労や追求を重ねて何かを見つける。教員として働くうえでも、このことをいつも大切にしてきました。

歴史の勉強は年号を暗記することが本質ではない。資料に基づき、それをどう読み解いて、いまにつなげていくか。それが歴史の勉強だと生徒たちに伝えてきました。そして、現地へ行って、自分の目で見て、肌で感じることがなにより大事です。まだ海外旅行が盛んでなかったころから、生徒たちを連れて外国へよくいきました。横浜から香港まで船で行ったときには水上生活者の疍民(タンミン)と出会ったり、イギリスに1か月滞在して現地の生徒たちといっしょに過ごしたこともありました。

わたし自身の体験で思い出深いのは「牡丹社事件」にまつわる話です。明治4年、宮古島と石垣島から3艘の船が琉球(那覇)まで貢物を持っていきました。その帰りに台風にあって、1艘だけが台湾の南側に漂着した。上陸して、食べ物を探し歩いていると、現地の人が手招きする。それに着いていくと、しだいに山奥に入り、いわゆる首狩り族に捉えられて50名以上が殺されてしまう。どうにか生き残った10名ほどが、現地での助けを得て、日本へ戻ることができた、という事件です。

牡丹社事件はそのまま終了したわけではなく、明治7年の台湾出兵につながるのですが、この事件についてはほとんど知られることがなく、資料もありませんでした。しかし、この事件に興味を持っていたわたしは、九州へ修学旅行を引率したときに偶然、資料に出会うことができたのです。それから台湾へ調査旅行へ出かけ、牡丹社の人にも会うことができた。偶然の出会いが本物につながっていく。ものごとを本気で追求していくと、本物に出会うことがある。そのことを実感した出来事でした。

 

大学院時代のゼミ旅行。右端が鈴木さん、その隣に海老沢有道先生(1965年、箱根にて)

 

自由に生きよ

立教高校の教員として勤めた43年のあいだに、たくさんの生徒が巣立っていきました。退職してからは全国あちこちの同窓会に呼ばれるようになって、教員時代よりも忙しいくらいです(笑)。生徒たちにいつも伝えてきたことがあります。それは、人はそれぞれ個性をもっていて、自由に生きることがなにより大切だということ。いかに生きるかをよく考えて、生きることを大切にする。自分の好き勝手に、自分の利益だけを探し求めるのは自由とは言えません。死ぬときになって、あぁ、よかったなあ、と思えるように生きなさい。そのためには、自分のことではなく、人のために自分ができることをしたらいい。わたし自身もこれからますます、そういう生き方をしていきたいと思っています。

 

(聞き手・撮影=平野有希)

 

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