Vol.50

作家

いしいしんじさん

目に見えないもののほうが信じられる

奥深いところから湧き出るもの

高校を卒業して、デザイン事務所で働いていたある日、先輩から「このまま続けてもダメになるから辞めろ。大学へ行け」と言われて、猛勉強して大学へ行きました。大学を卒業すると今度は上京して就職。でも、ぼくには会社勤めは向いてない、これからは執筆業だと思って、会社を辞めました。1994年から99年というとちょうど雑誌の売れ行きが最高潮のころで、つぎつぎに仕事の依頼がきた。頼まれたら、なんでも書いて、がむしゃらに働きました。そしたらある日、こころとからだが悲鳴を上げてしまった。

しばらく休むために大阪の実家に戻りました。かつて祖母が使っていた部屋でごろごろしていると、昔の記憶がかすかに蘇ってきた。母に子どもの頃、ここで自分がなにをしていたのかたずねたら、「あんた、そこでお話書いてたやん」と。そのときの本はまだ残してあると言われて、押し入れにしまってあったつづらを開けると、大きな茶封筒の中に幼少期に書いた物語がたくさん入っていました。4歳から8歳のあいだの20作以上。なかでも、4歳半のぼくが書いた『たいふう』という物語は驚くほどよくできていました。

当時、ぼくは死について考えていて。明日もしも自分が死んだら両親は悲しむだろう。でも、3日後にはご飯を食べて笑うこともあるだろう。きっとそれは自分以外の人間でも同じだろうって。夜中に両親の寝顔をみて、これが最後になったらどうしようって、ひとりで泣いたこともあった。そういうことを、自分の内側にある奥深いところから湧き出るものを、すなおに表現していたんです。いまだにぼくは『たいふう』を越える作品を書けていない。

 

『たいふう』の表紙。4歳半のしんじくんが書いた「第1巻」

 

三崎のまるいちと松本の猿田さん

からだも元気になって、また執筆の仕事を再開して、こんどは長篇作品を手がけたりしました。その後、縁あって神奈川県の三崎へ移住することに。近くにある「まるいち魚店」がすぐに気に入りました。手元のお金で買える分の魚を買ってきては自分でさばいて食べて。貧乏暮らしだけど、楽しかった。東京から仲間たちがぼくの家に訪れて、疲れた心を癒す休憩所みたいになっていました(笑)。

それからしばらくして、当時お付き合いしていた園子さんから、長野の松本で染め織物を勉強したいと言われて、ふたりで長野県松本市に移住することになりました。三崎の家は執筆に集中するときのために、と残したままで。新しい家は松本市街からバスで15分くらいの、安曇野をみわたす一軒家。中央アルプスがどかんと見えて、ぶどう畑が広がるすてきなところです。そこで、この家を世話してくれた不動産屋さんの猿田さんと出会いました。はじめて猿田さんの事務所にいったときに、戸棚にはサミュエル・ベケット全集や大正時代の分厚い聖書が置いてあってびっくりしたのを覚えています。

ある日、猿田さんが大きな手づくりのアップルパイを焼いて、うちに持ってきてくれた。それがものすごく美味しかった。本当はサバ寿司をつくりたかったんだ……、と言うので、ぼくはその場で三崎のまるいちに電話をして、サバを一匹注文。数日後にこれまためちゃくちゃうまいサバ寿司をつくってくれました。それからは猿田さんはまるいちに直接注文していたようです。

 

松本での暮らしは忘れられない思い出のひとつ

 

彼らはいつもどこかにいる

ある日、ぼくが三崎の家で執筆していたら、園子さんから電話がきた。「猿田さんが、交通事故にあった……」。園子さんの様子から、これはすぐに帰ったほうがいいと感じて、松本に戻りました。猿田さんが亡くなったのはその3日後でした。教会での葬儀のときに、猿田さんの奥さんから、「いしいさんに持っていてもらいたい」と、あの分厚い聖書を渡されました。ぼくが持っていていいのか戸惑いましたが、猿田さんの想いを受け取ることにしました。

三崎に戻って、まるいちのみんなにも猿田さんのことを伝えようと、話をしたら、おかみさんが奥から茶封筒を出してきてぼくに見せた。中に入っていたのは安曇野のぶどう畑やわが家の写真。猿田さんからのものでした。

三崎の「まるいち魚店」。家族のように迎えてくれる

「まるいちの皆さんへ、美智代さんへ。いしいしんじさんを、三崎から松本にとってしまってごめんなさい。でも僕がこうして、この二人がずっと幸せでいられるように傍で見守っていますから、安心してください。彼ら二人にはそのうち子どももできて、きっと笑顔で三崎に帰ります。だから、その時を楽しみに待っていてください」

 

死んだからといって、その人が完全に消えるわけではない。どこかにいるとぼくは思っています。目に見えないもののほうが信じられる。だから、猿田さんを、そして4歳半のいしいしんじくんをがっかりさせるような生き方はしない。と、ぼくは心に決めています。

 

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

 

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