Sotto

Vol.46

週末カフェ「にゃらや」店主

稲増祐希さん

たくさんの人に支えられて

両親とおばあちゃんとわたしの食卓

幼いころはおばあちゃんと一緒に過ごすことが多かったです。おばあちゃんの友人の家にもよく行きました。おばあちゃんがいなくても、ひとりでその家に遊びに行ってしまうくらい(笑)。近所のひとにはかわいがってもらっていました。

おばあちゃんは昔、長野で小料理屋さんをしていました。女店主でとにかく元気。社交的な女性でした。わたしの父が高校を卒業してから神奈川へ移ったそうです。父に連れられて、「ここにおばあちゃんのお店があったんだよ」って、跡地を見せてもらったことがありました。

わが家ではいつも両親とおばあちゃんとわたしで食卓を囲んで夕飯を食べるんです。わたしが成人してからはいっしょにお酒を飲むようにもなりました。みんなお酒が好きだから、食事はおつまみが多くて、家なのに串揚げやジンギスカンを食べたりしていましたね。おばあちゃんの作るすいとん、大好きだったなあ。

 

両親とおばあちゃんとわたし(1991年、自宅にて)

 

おばあちゃんみたいになったね

学生のころからずっとカフェでアルバイトをしていて、いつかは自分でカフェをやりたいと思っていました。大学を卒業してからは仕事を転々としながら、いまの会社に就職。副業ができる会社だったこともあって、夢だった自分のお店をもつことができました。仕事をしながら、週末だけの営業。おばあちゃん家のような、どこか懐かしい雰囲気のお店です。

お店をはじめると決めてからは家族が背中を押してくれて、たくさん力になってくれました。父は水回りの工事、母の友人は暖簾を作ってくれました。遅くまで作業をしていると、母が車で迎えに来てくれたり、材料の買い出しも手伝ってくれました。オープンしてすぐに両親を招待して、お店のカウンターで3人でお酒を飲みながら思い出話をたくさんしました。「祐希は、おばあちゃんみたいになったね」って。いま思うと、たしかに、おばあちゃんとわたしは似ているところがたくさんあるなって思います。

 

おばあちゃんのお店「いさみや」(1957年、写真中央に祖母と父)

 

たくさんの人に支えられて

カフェだけど、大好きなお酒も提供できるようにしたいと思って、近所の酒屋さんに相談に行ったり、ほんの少しだけバーで働いたりしました。そしたら、バーの店長さんが元々塗装の仕事をしていた人で、いまのお店の壁の塗装をしてくれたんです(笑)。お店の設計は以前に働いていたカフェのオーナーさんに紹介してもらった設計士さんにお願いしました。お店のガラス戸は、この物件に残っていたもの。昭和レトロな雰囲気で、子どものころに通った駄菓子屋さんを思い出します。ほかにも、コーヒー豆や食器など、これまでにお世話になった方々に支えられてこのお店が出来上がりました。通りがかりの人が立ち止まってくれたり、近所の方が声をかけてくれたりして、とてもあったかいアットホームな場所。そういうのがいいんですよね。

 

(聞き手=加納沙樹、撮影=平野有希)

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