Vol.45
能楽師 宝生流第二十代宗家
宝生和英さん
イノベーションと利他
5人の先生たちの愛
子どものころ、僕は父の稽古ではなかなか上達しなかったんです。まわりからも、あれでは宗家になれないよ、と。それで母に勧められて、同時期に5人の能楽師に習うことにしました。曜日ごとに先生が違うんですよ(笑)。先生が変わると、教えも変わる。それぞれに理論や美学があって、あの先生はこう言ったけど、この先生はこう言っている。どうして違うことを考えるのか、俯瞰して見るのが楽しかったですね。自分で考えることって、大事なんです。ただ教わったことをやるだけというのは、かえって冒涜です。先人を疑うこと。なぜその人がそう考えたのか、ちゃんと自分で理解しようとすることが、最大のリスペクトだと思っています。
先生たちには「こいつに預けないといけないものがある」という使命感があったんじゃないかな。ある先生は、「俺は深夜2時まで起きてるから、それまでならいつでも稽古してやる」と。いまならわかりますが、お稽古を見るってすごく大変なんです。僕ができることは、厳しい稽古も含めて、最大級の愛だったのだと受け止めること。自分の時間を使って人に稽古をつけるなんて、ボランティア精神の究極形ですよ。
初舞台、能「西王母」子方(1991年、宝生能楽堂)
宝生和英だからできること
昔は、「宗家はうまくなくていい。“宗家の芸”だけ知っておけばいい」と言われていました。でも僕の場合、そういうことを教わる前に父が亡くなってしまった。その代わりに、5人の先生たちから教わった多くの引き出しがある。そのときの状況によって舞台上での自分を変えられる。それは強みでもあり、弱みでもあるけれど、でもこれが僕のアイデンティティ。父でも祖父でもない、いまの時代の僕だからこそできることがある。「宝生」の家に生まれた「宗家」ではなく、宝生和英だからやれることを追求したい。
「和英さんが宗家でよかった」と、言われることが大事だろうと思います。大勢の人が、この人のもとにいるのは苦痛だと感じたら、自ら身を引かないといけない。トップに立つ人は、自分自身の敵にならないといけないんです。
趣味の水中写真(撮影=宝生和英、石垣島)
だれかの幸せのために
僕の舞台を観て、幸せだと思ってくれる人がいるからやる。極端なことを言えば、その人のためになるなら能じゃなくてもいいんです。たまたま運よく、自分に合っているのが能楽だったというだけです。そんなふうだから、僕は、舞台だけに命をかけているのではないと思っています。
若いときに両親を亡くしたせいか、「個」に対する思い入れはあまりありません。あえて言えば、僕は大事なときに両親がいなかったから、自分の子どもにはそういうさみしい思いはさせたくないな。
いま35歳。焦りはあります。漠然とやるのはもったいないし、後悔したくない。40歳にはここまで、50歳でこれくらいの結果を……、と短期、中期、長期で目標を立てています。未来は見えないから怖い。でも行動しないと変わりません。そのときに、とにかく利他に動くこと。自分が何をしてもらったかではなく、自分に何ができるか。能楽だって、人から「いらない」って言われたらなくなるものですよ。それが嫌なら、イノベーションし続けて、人のためになり続けるべきだ。それが僕の考えです。
(聞き手=夏目真紀子、撮影=平野有希)